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大阪市浪速区日本橋商店街 |
この当時は、現代の様に、通信販売は発展していませんでした。電気に関する小物、部品等は大阪では日本橋、東京では秋葉原でしか、販売されていなかったのです。大分に転勤してから、2か月に1回は大阪まで、本社会議の為に出張する事が有りました。その時には、必ず日本橋まで足を延ばして、ホント、半日は日本橋で過ごしていました。購入予定の部品リストを手に、次から次と部品専門店を尋ねたものでした。その当時、大分にも電子部品を各種揃えている店は、1軒だけありました。40メートル道路に面した所の『サンアイ無線』でした。特殊な部品でしたが、買い求め様とサンアイ無線を尋ねた際、どうしても店内で見付ける事が出来なかったのです。そこで、店の方にお伺いしました。すると、帰って来たお返事は 「ああ、それは内には置いていません!」。取り寄せましょうか?のお言葉は無しです。アリマセン!!の一言。従って、出張の度に、大阪日本橋の専門店に、必ず寄っていたのです。
最近では、全国ネットで通信販売が盛んになりましたので、特殊な部品でも、小さな部品でも、送料さえ負担すれば、買い求められますが、その当時は、通販はそこまで盛んでは無かったので・・。
その後、大分市でも春日町の交差点近くに、無線機専門のお店も出来ました。そのお店で、400MHzとか、144MHzの無線機を何台か購入し、又、自宅にアンテナを上げる際には、応援もお願いしました。ナガラ電子の400MHz、25エレメントのスタック。長さ5メートル近いアンテナを2本、約1.5メートルの間隔位でマストに上げて、下に付けたモーターでアンテナを回転させている物でした。そのアンテナを通じて、神戸市東灘区の方々とも、通信は可能でした。大分から神戸といえば、400MHzでは遠距離通信になります。その為、短時間の積りで声を出しても、次から次と神戸付近の方々から、お呼びが掛かって、なかなか、無線機の前から離れられなかったものです。1時間か2時間の時間が空いた時しか、無線機の前には座れなかったものです。車にも勿論セットしていました。新車のタウンエース、納車と同時に、天井の真ん中に穴を開けて、144MHzと400MHzの共用ホイップアンテナ。右前の窓枠に付けたマイクを口元に持って来て、スタンバイ、周波数変更のスイッチはシフトレバーに自作して取り付けたものです。床下には小型のスピーカーも取り付けて・・・。
大分市内の何社かが集まっての野球大会の開始に当たっては、グランドの近くに停車した私の車のスピーカーを使って、車載アンプからマイクを引っ張って、開会式をやった事もありました。勿論、走行中にも、活動しましたよ。違反車が有ると、手許のマイクから、注意もしたものでした。
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