2014年2月27日木曜日

自宅の庭に アライグマ、ラスカル!!

ここは大阪府高槻市、この付近は住宅地、新旧の住宅に囲まれた一帯で、田畑等からも随分離れた場所になります。近くの山までは、10キロ近くという、平地の住宅地です。そこに、アライグマが現れたのです。今日、フト、そのアライグマと面会した事を思い出しました。
 月日が経つのは早い物で、あれは平成14年12月でした。昨年の7月頃のブログにも書きましたが、この当時、大腿骨董壊死症の診断を受けて、手術に備えて、待機をしていた頃でした。大腿骨の関節部分の痛みから、診断書を提出して、会社は休んでいました。夜、休む時も、水平に転ぶと痛みが酷くて、床に付けなかったのです。止む無く、1階の和室でホームコタツに座イスを置いて、座イスにもたれて睡眠を取っていたのです。夜明け間近で、周囲は未だ暗い様な状態でしたが、ライトは付けなくても見える位の明るさでした。障子を開けて、ガラス戸越しに外を眺めていた時、お隣のブロック塀の上を移動する動物に気が付きました。ブロック塀の上から、我が家側のフェンスの上に降りようとして、前脚を下に伸ばしました。お隣のブロック塀よりも、我が家のフェンスは、60センチ位、低い場所になるのですが、その前脚を揃えて、下に伸ばして、フェンスの上に全身を下ろし、フェンスの上を横にスルスルッと移動して、更に別のお隣のお宅側に姿を消しました。ガラス戸越ですが、私との距離は3メートル位。当然私の姿も見えていたとは思いますが、何の抵抗も無く、堂々とした移動でした。野生では無く、ペットとして飼われていたものかもしれません。
 最初に、その顔を見た時、アレッ、タヌキだ!と思ったのです。こんな場所にもタヌキがいるんだ・・・と、ビックリもしたものです。その後起きて来た家族と話していた時、その様子を色々と話していると、突然、娘が、尻尾がリング状に白黒になって無かった?と言いだし、そこで初めて気が付きました。確かに尻尾には白黒の模様が有った・・・と話すと、それはラスカルやーー。ホント、確かに尻尾の模様は有りました。アライグマが、この辺りには決して生息はしていません。ペットが逃げ出したか、或いは、何方かが放置なさったのか・・・。アライグマの出現は、各地で発生している・・・とは、知っていましたが、まさか、我が家まで・・・。ホント、珍しい経験をしました。それ以降の面会は一度も有りません。一回だけでしたが、アライグマ。私に警戒心も見せないで、堂々とした行動でした。各地では放置したペットの被害等も報じられていますが、私も実際に、動物園以外で、その姿を見る事が出来たとは・・・。身体に痛みの酷い手術待ちの状態の中で、初めて見たアライグマ、ラスカル、何か、今でも凄く懐かしい様な想い出として、頭に深ーく、記憶しています。

2014年2月25日火曜日

一斉摘発 大阪日本橋 違法DVD

大阪浪速区 日本橋
今日、テレビの報道で日本橋の違法DVD販売業者5社が摘発されたそうです。修正無しのアダルトビデオとか、コピーをしただけの海賊版、大きな段ボール箱に収めたDVD、警察の小型車が載せきれない位の量の様子でした。
昔の日本橋と言えば、ホント、デンキのマチでした。小さな部品の一つから販売していましたので、地下鉄で良く通いました。4階建ての店舗の場合、私が行くのはその最上階、4階のパーツ売り場でした。プリント基板を自作して、そこに色々なパーツを組み立てて、マイカーにはアンプ等も作成、又、シフトレバーに各種の切り替えスイッチを取りつけて、アマチュア無線の運用等
大阪日本橋さんには、本当にお世話になりました。しかし、そういえば最近は日本橋には出掛けて無いですね。大分に赴任していた時には、大分では何も手に入らなかったので、出張で大阪に来た時には、必ず日本橋に行ったのですが・・・。
 最後に日本橋に行ったのは何年前ですかね。10年以上、もう行って無いですね。最近では、各種パーツはインターネットの通販で、送料さえ辛抱すれば、何でも手に入りますし、日本橋まで行く交通費を考えると、通販で送料を支払った方が安いかもしれません。
それと、話に聞くところでは、最近の大阪日本橋は、ガールズパートとか、今日取締の有った違法DVDの販売店とか、どうも雰囲気が従来とは変ってしまったみたいです。私も最近は、出掛けて無いから、それ以上の事は解りませんが・・・。
最近、私が電器の量販店に出掛けるのは、高額商品の場合には、現物の操作等を確認の為。最近のテレビも、全て通販を利用しました。テレビは、リビングと和室、それぞれ37インチです。これも通販です。アンテナ等は自分でやりました。でも、エアコンだけは、私も経験ないので、自宅近くの量販店のお世話になりましたが・・・。エアコンの取付も、一度経験すれば、自分でも出来るのですが、未だ、トライはしていません。ホースの中のガスを本体に戻す操作等、原理は解っているのですが、実際には手を出してないので・・・。
 私が今、一番悔しいのが、年を取ってから、2階の屋根の上に上がれなくなった事です。古いVHFのテレビアンテナが上がったままなのです。イエ、梯子をかけて、どうしても上がれ!!となれば、覚悟をして上がりますが、でも、若い時とはチョット違うので、今は、自重しています。ま、その方が安全ですよね。

2014年2月22日土曜日

MCA無線機の導入

MCA無線車載機
この当時、携帯電話は既に発売はされていました。しかし、その当時の携帯電話は、非常に高価であり、また、その大きさも並大抵の物では無かったのです。持ち運びも出来ましたが、バッテリーと一式、ショルダータイプの物でした。受話器も、固定電話と同じ様な形の物でした。しかし、余りの大きさと重さの為、一般的にはショルダータイプよりも、車のセンターコンソールに設置してご利用になっているのは、時々、見かけた事は有りました。私の赴任した会社では、未だ携帯電話の利用はしていませんでした。その代わり、ポケットベルを全員が携行して、営業活動をしていたのです。
一方、私の趣味はアマチュア無線でしたので、マイカーにも取り付け、又、ハンディ機も使用していましたので、近距離で有れば、アマチュア無線で自宅との連絡に使用していました。大分に赴任してからですが、家内もサンアイ無線の講習会に出席して、アマチュア無線の資格を取得して貰っていたのです。自宅との連絡は非常に便利でしたが、一方、会社ではポケットベルだけの利用でしたので、外出している社員との連絡は、非常に苦労しました。ポケットベルを鳴らして、その社員からの電話連絡を待って、それでやっと連絡が付く状態でした。そこで、社内でも無線システムの利用を考えました。1社だけで利用する無線システムも有りましたが、それには専従の有資格者を置く等の条件が有りましたが、何社かで同一の電波を利用するタイプ、MCA無線で有れば、簡単に設置できる事が解りました。何社かで共同の利用とはいえ、やはり業務用ですので、無線機は結構高い物でした。同じ様な周波数のアマチュア無線機であれば、私も何台かは所有していましたが、アマチュア無線で業務を行っては違法です。そこで、了解を頂いてMCA無線を導入する事になりました。社長用車、営業車、配達用車それぞれと、本社には基地局を設置。各車両には50㎝程のホイップアンテナをルーフトップに上げ、本社屋上には5/8λのGPアンテナを挙げました。随分便利になりました。〇〇本社より〇〇何号車、応答願います・・・と、本社から移動局を呼び出せば、即座に返事が有ります。会社の活動範囲は、大分県は中津、佐伯までありましたが、本社のGPアンテナからは、そこ迄は届きませんでした。しかし、大分市の周辺までは、充分使用出来ました。2~3社が共同で使用する…と、聞いていましたが、他社の方の声は、ほとんど聞いた事は無く、まるで、当社専用の様な感覚で使用したものです。例え車を離れている場合には、呼び出しをセットすれば、無線機から呼び出し音が流れますので、連絡に苦労する事は解消されました。本社のアンテナ設置には、業者の方もみえましたが、屋上への設置、5D2Vのケーブルの引き込み、M型コネクターのハンダ付け等は、私も充分経験していますので、勿論、お手伝いもしました。最近では、MCA無線もデジタル方式になっているのですね。各社が同一の周波数の電波を使用しても、その内容は他社には届かない様になっているのでしょう。詳しくは知りませんが・・・。
 現在の、携帯、スマホの時代からは考えられない事ですが、ホント、昔はポケットベル、あれは便利でしたよね。出来た頃は、誰もが称賛したのですが・・・。今、思い出すと懐かしいですね。                                

会社内部のリニューアルオープン


現在の会社全景(現在は全国組織の支店になっています) 
大分に転勤して数カ月、大分の生活にも少しずつ慣れて来ました。会社の建物は鉄骨造りで、周囲は一見、鉄筋コンクリート造りの様に見えますが、内部の配置等は、年月を経た、古い作りのままでした。正面の入口から中に入った印象では、机が何組かに向きあった、正直古臭ーい、昔ながらの事務所のイメージでした。このイメージを、もう少し、スッキリして、お越しになる方に、もう少し良い印象の事務所にしたいと考え始めたのです。しかし、〇〇大分販売㈱の本社ですが、株主は親会社のメーカーと、地元のガソリン販売会社が、それぞれ50%を保有していました。株主の方の同意を得て、内部のリニューアルを進める事にしたのです。施工は従来からの取引先、中央広告さんにお願いする事にしました。中央広告の社長、当社の社長と共に、改造のプランを色々と検討しました。狭い事務所部分をもう少し広げて、床はリノリウムのパネル張り、天井は高い釣り天井で、内部を明るく、すっきりと。タイヤ交換の作業場所、それ迄はタイヤ交換の際には、ガレージジャッキを用いて、車両を持ち上げていたのですが、地下に埋め込み型のリフトアップ式とする事にしました。まず最初に手掛けたのが、一番の大工事となる、作業場の埋め込み型のリフトアップの取付。。従来のコンクリートの床を破って、地下を掘り下げなくてはなりません。コンクリートの床を削岩機で破るのですから、非常に大きな騒音が出るのは間違いありません。その騒音対策として、表のシャッターは閉めた状態で作業する事にはしましたが、しかし、それでも周囲には大変な騒音です。周囲には住宅も有りましたので、工事に先立って、手土産を持って一軒一軒、お断りに伺いました。勿論、これは管理部長の私の仕事です。初めてのお宅に、順番に伺いました。昼間は誰も居ないから構いません、というお宅が多かったのですが、中にはお子さんの小さい方が、いらっしゃるご家庭も有りました。大きな騒音は一日だけで終わらせますので・・・と、みなさんのご了解を頂く事が出来ましたので、早速工事の開始。実に大きな音でした。作業場のコンクリートは約20センチの厚みが有りましたが、その全てを破って、小型のユンボで深く掘り下げての工事でした。作業場のシャッターは、従来は横棒が連なった様なタイプの物でしたが、中の見えない普通タイプのシャッターに交換する事にしました。ところが、それ迄は、シャッターの間からツバメが入って、巣を造っていたのですが、それが出入りが出来なくなります。そこで、横の柱の部部近くに、ツバメが通れるように、従来のシャッターも少し残して・・・。
ツバメの為に、シャッター、入口を考えるとは、やはり都会とは違う事を認識させられました。
 事務所内は、全く見違える様な造り、まるでビル内の一室の様になりました。事務所の奥を広げて、全員の机を正面の入口に向けて着席する様に配列、その最後列に管理部門の席を設けて、大型金庫もその一角に設置。社長室は、2階に別室を設けました。入口サイドには、お客様用にソファー等も3組設置。又、応接室も1か所設置出来ました。今迄とは、ホント、見違える様な事務所が完成したのです。
リノリウムを貼り付ける時に業者の方に伺ったところ、定期的に磨かなければ、汚れが取れない・・とか。事務所内を美しく保つ為に、定期的に床磨き・・・。これで、又、私の仕事が大きく増えようとは・・・。その時は、ナントも考えていなかったのですが・・・。

2014年2月21日金曜日

やっと来た 春

庭のサクラ草が、やっと優しい花を開きました。大雪で道路が遮断されて孤立の方もいらっしゃるとか、お見舞いを申し上げます。
2月21日金曜日、月日の経つのがこんなに早いとは・。
仕事から退いて、約1年半、毎週3日、往復の時間も含めると、約6時間掛かって透析治療を受けていますが、透析の4時間は、テレビを眺めながら、非常に永い4時間です。透析以外は自宅内で過ごしているのですが、1週間が、アッという間に過ぎ去ってしまっています。今年、新年を迎えたばっかりみたいな感覚ですが、でも既に2月も終わりに近付いています。会社勤めをしている時は、5日、10日毎にそれぞれの数字をチェックして、又、その数字から1カ月の予測を立てて、いろいろと手を打ったものですが・・・。今は、庭にチョコッと出て、カメラのシャッターを押す位だけ。若い頃と違って、年齢と共に体調を崩しているせいでもありますが、しかし、本当に信じられない位に、日が経つのが早く感じられます。病院に通うのもタクシーでの往復ですので、今年の冬、防寒具を着て外に出た事は、一度も有りません。ワイシャツに紺のブレザーが、私の外出着。ネクタイはしていません。電車通勤の頃は、その上にコートを着用していましたが・・・。
 若かりし頃と、大きな変化は、今、帽子を被っている事です。私が帽子を被ったのは高校を卒業する迄でした。その後は、セットが崩れる・・・と、帽子は一切使用しませんでした。でも、年齢と共に、有るべき物の数が、段々と減少。出先で写された自分の姿を見て、何度もビックリしたものです。普段見ている自分の顔は、鏡に向かった時の正面の姿しか知りませんでした。スナップとして写された写真は、正面では無くて、おおよそ横顔の写真。初めて見た時は、エーエッ? これ、誰??と思いもしました。頭が段々薄くなって、正面からだと特に何とも思わないのですが、横から見ると、髪の隙間、切れ目がまともに見えるのです。こんな頭、これが私の姿??と、最初は驚きました。信じられない思いでした。
 そこで、帽子を被る事にしたのです。しかし、野球帽を被る訳にもゆかないし、どんな帽子にしようかと、随分悩んだものです。今迄、スーツしか着た事の無い私が、ハンティング、野球帽は被れません。そこで、ネット等でいろいろ探しまわった挙句、七折れ帽を選択しました。でも、テレビで見た某国の元外務大臣の様に、帽子を斜めに被ったりはしません。まるで、ハイキング用の帽子を被るかの如く、真っ直ぐに被っています。最近は、必ず帽子を被っての外出ですが、でも、女性と違って男性は、帽子を脱ぐのが礼儀の場所も有りますよね。そんな時、ホントは被り続けたいのですが、仕方ありません。脱がざるを得ませんが、ホントは脱ぐのは嫌です。運転免許にも、マークが有る様に、帽子の利用にも、年齢を表示して、脱がなくても良い・・・とか、無理ですよね、そんなのは。そうかといって、髪を短く、丸坊主みたいにするのも嫌だし・・・。この様な悩みも、いつまで続けられるか・・・、あと何年髪が有るのかな・・・。

2014年2月16日日曜日

大阪へ出張の時は、必ず行きました。 電気の街 日本橋

大阪市浪速区日本橋商店街
昭和47年9月にアマチュア無線局を開局しました。その当時は大阪府枚方市に住んでいましたので、京阪電車、地下鉄を乗り継いで日本橋には、ほとんど毎週通いました。購入目的が有る時は、その部品を探し求めて、端から端まで、何往復もして、部品を探した事もありました。購入目的が無い時でも、日本橋の各店を訪問すると、必ず何か新しいものを発見して。欲しい物、型式が決まると、今度は、一番安い販売店を探して、再度、端から端まで。最後は疲れ切って、恵美須町の地下鉄にやっと乗った経験もあります。
 この当時は、現代の様に、通信販売は発展していませんでした。電気に関する小物、部品等は大阪では日本橋、東京では秋葉原でしか、販売されていなかったのです。大分に転勤してから、2か月に1回は大阪まで、本社会議の為に出張する事が有りました。その時には、必ず日本橋まで足を延ばして、ホント、半日は日本橋で過ごしていました。購入予定の部品リストを手に、次から次と部品専門店を尋ねたものでした。その当時、大分にも電子部品を各種揃えている店は、1軒だけありました。40メートル道路に面した所の『サンアイ無線』でした。特殊な部品でしたが、買い求め様とサンアイ無線を尋ねた際、どうしても店内で見付ける事が出来なかったのです。そこで、店の方にお伺いしました。すると、帰って来たお返事は 「ああ、それは内には置いていません!」。取り寄せましょうか?のお言葉は無しです。アリマセン!!の一言。従って、出張の度に、大阪日本橋の専門店に、必ず寄っていたのです。
 最近では、全国ネットで通信販売が盛んになりましたので、特殊な部品でも、小さな部品でも、送料さえ負担すれば、買い求められますが、その当時は、通販はそこまで盛んでは無かったので・・。
その後、大分市でも春日町の交差点近くに、無線機専門のお店も出来ました。そのお店で、400MHzとか、144MHzの無線機を何台か購入し、又、自宅にアンテナを上げる際には、応援もお願いしました。ナガラ電子の400MHz、25エレメントのスタック。長さ5メートル近いアンテナを2本、約1.5メートルの間隔位でマストに上げて、下に付けたモーターでアンテナを回転させている物でした。そのアンテナを通じて、神戸市東灘区の方々とも、通信は可能でした。大分から神戸といえば、400MHzでは遠距離通信になります。その為、短時間の積りで声を出しても、次から次と神戸付近の方々から、お呼びが掛かって、なかなか、無線機の前から離れられなかったものです。1時間か2時間の時間が空いた時しか、無線機の前には座れなかったものです。車にも勿論セットしていました。新車のタウンエース、納車と同時に、天井の真ん中に穴を開けて、144MHzと400MHzの共用ホイップアンテナ。右前の窓枠に付けたマイクを口元に持って来て、スタンバイ、周波数変更のスイッチはシフトレバーに自作して取り付けたものです。床下には小型のスピーカーも取り付けて・・・。
大分市内の何社かが集まっての野球大会の開始に当たっては、グランドの近くに停車した私の車のスピーカーを使って、車載アンプからマイクを引っ張って、開会式をやった事もありました。勿論、走行中にも、活動しましたよ。違反車が有ると、手許のマイクから、注意もしたものでした。

2014年2月14日金曜日

雪にも負けず…

2月14日、天気予報では大雪とか。朝6時、小雨でした。それが、時間と共に小雨から雪に・・。
朝の7時には、草の上、ブロックの上には、少しずつ雪が積もり始めたのです。
8時頃には既に積雪約1センチ。予約しているタクシーが、やっと8時15分に到着。自宅前に停車したタクシーに、傘は持たないで乗り込みました。上は紺色のブレザー、僅か10秒程度でしたが、雪で真っ白。シートに座ってから、手で払い落しました。ここ、大阪でこれ程までに激しい雪は見た事が無い位、強い風と共に、いつ道路にまで積雪が残っても不思議では無い状態。ワイパーを一杯に動かしても、前方確認が困難な状態。道路は、未だ白くはなっていませんでした。しかし、タクシーが左折しようと、横断歩道の手前で一端停止、歩行者の横断を確認して、発進しようとした時、横断歩道の塗装の上だったのでしょう。後輪が空転して、僅かですが、スピンしたのを感じました。雪が降って、決して道路は白くはなっていませんでしたが、気温も低い為、道路上で凍結に近い状態になっている様子が伺えました。アスファルトの舗装の上でしたら未だ良いのですが、アスファルトの上の塗装部分は、凍結し易い様です。車だけでは無く、歩行時等にも、凍結しかけている様な状態ですので、一歩一歩、大股では無く、小股で歩く事が重要だと初めて教えられた、今朝の体験でした。
 午後2時過ぎに自宅まで帰着、雪は相変わらず激しく降り続いていました。門を通って、玄関前までは、踏み石の上が白くなっていましたので、最大限の注意を払って、滑って転倒の無い様に、気を付けて歩行。やっと玄関前に到着、玄関前の一段高くなったタイルの上、白くはなっていません。雪は多分溶けたのでしょう。透明な水で濡れた様に見えたタイルの上、その上に足を乗せると、ツルっと、ホンの僅かですが、足が滑るのを感じました。見ただけでは、単に濡れているだけとしか見えなかったのですが、凍結って怖いですね。見ただけでは、単に濡れているだけ・・・としか見えないのですが、凍結していました。最大限の注意を払って、無事、帰着。
 部屋の中から庭をみると、先日、『春はそこまで・・・』で撮影したサクラ草、雪にも負けず、一輪だけですが、花を開いていました。雪が溶けて、水滴となり、その重みで頭を下げてはいましたが、元気一杯な様子でした。
 今日から明日に掛けて、日本各地は大雪だとか・・・。大きな被害が出ない事を願っております。

2014年2月11日火曜日

春は そこまで・・・

庭のサクラ草、先日、遠くから見ていて、咲いたのかと思ったら、未だ咲いて無かったのが、今月1日の事でした。その日は、未だしっかりと蓋を閉じたままでした。それから10日、先週末の全国的な冷え込みと、大雪を乗り越えて、蕾は今にも開きそうな状態にまで成長して来ました。開花まで、、あと1日?それとも2日?
庭のあちこちからサクラ草が元気に頭を持ち上げています。今迄、葉のほとんど見えなかったクレソンも、元気一杯に大きな葉を伸ばしています。例年になく、寒気が日本を包んでいた為に、各地で予想外の積雪になってはいますが、庭の花達は春がそこまで近付いている事を、身をもって感じているのでしょう。
各地からは、早咲き梅の開花の便りも有ります。我が家の梅の木、マダマダしっかりした蕾ですが、もうすぐ開いて春を呼び込むでしょう。

ソチの冬季オリンピック現地では暖気に覆われて、雪不足の状態とか・・・。
日本には未だ届いて無い金メダル、その金メダルと共に、春がきっと近付く事でしょう。日本、ガンバレー!!

2014年2月6日木曜日

大分港で覚えた、小アジのサピキ釣り

今迄、釣りといえば海岸から遠投をして釣り上げる、投げ釣りが中心でした。波止場から浮き釣りをした事も有りましたが、投げ込みで、カレイ等を狙うのが中心でした。若かりし頃、その当時は枚方市に住んでいましたが、京阪電車の始発で出掛けて、大阪の反対側、南海電車の淡輪まで出掛けて、投げ釣りをやっていました。
朝から夕方まで、釣れたのは体長7センチ位、まるで透けて見える様な感じのカレイ1匹だけでした。離してあげれば良かったのですが、自宅まで持って帰って、煮つけにしたものでした。子供の頃には、岡山の児島湾で、チヌ、15センチ位でしたか、海岸から釣った事もありましたが・・・。岡山の宝殿海水浴場では、カレイ、タコ等も投げ込みで釣りました。
 大分港を眺めに出掛けたところ、皆さん、籠を付けたサビキ釣りで小魚を次から次と、休みなく釣り上げる姿を拝見しました。こんなに簡単な釣り方法、釣具店で伺って、早速籠と、小さな釣針が連続して取り付けられているサビキ針、餌として冷凍アミを買い求めて、私も早速港に引き返しました。仕掛けは図の通り、本当に簡単な仕掛けで、餌として籠の中に冷凍網アミを入れて、海水に入れるだけ。
入れればすぐに、グッグッグッと、あたりが有ります。すぐ引き揚げれば、そこに小魚、小アジが針に釣れているのです。下の籠の中の冷凍アミが流れ出して、そのアミと同じように見えるサビキの針に小アジが来るのです。春先、最初の内は本当に小さなアジですが、季節と共に成長して、初夏の頃には10センチ位の小アジが釣れ出すのです。小アジは、家で簡単に南蛮漬けとして、美味しく頂く事が出来ます。30分か1時間も有れば、充分過ぎる位の釣果でした。それ以上に沢山持って帰ると、叱られるのです。から揚げする手間が大変だった様で・・・。
この釣り方法を覚えてからは、暇を見つけては大分港に向かいました。大分港はサビキ釣りの方で、岸壁は埋まっていますが、その中に隙間を見つけて、竿を延ばす事が出来ました。このサビキ釣りは、釣竿を振りまわす事も有りませんので、僅かな隙間が有れば、割り込んで竿を出す事が可能なのです。会社が終わって、残業等の無い時は、自宅迄5分、釣竿等を積み込んで大分港まで5分の走行。餌を籠に詰めて、すぐ開始。沢山の小アジが、ホント、すぐ一杯になっていました。
餌のオキアミは、冷凍状態で販売されています。金額は安いのですが、大きな塊では一度には使い切れないから無駄・・・と思って、小さい塊の物を買ったのです。金額も安いものでしたが、大きな安い塊よりも小さい塊の方が、アミの体長は大きなアミでした。使い切れないから・・・と、わざわざ、小さな塊を買って行ったのですが、大分港で通りかかったオバチャンからは、馬鹿にされた様に、「マア、こんなに大きな餌を使って・・・、無駄な事をなさっとるワ・・・」と、言われてしまいました。大きな声でしたので、当然聞こえてはいましたが、聞かないフリして・・・。その時、わざわざ事情を説明しても、無駄な事・・・と、敢えて、聞こえない振りをしたのです・・・。
 大分港では、この当時、アジはこの大きさ辺りまでは良く釣れました。しかし、アジが成長すると共にその生息域が南に下る様で、大分よりも南の臼杵辺りですと、もう少し大きくなったアジが波止めからも釣れると聞きました。しかし、出掛けるのが面倒で、結局、臼杵までアジ釣りに行く事は有りませんでした。臼杵といえば、ドライブで出かけた時に海岸で大きな釣り堀を見つけました。色々の種類の小魚は3つ程の生けすで自由に釣れますが、タイとブリは専用の大きな生簀が有りました。タイは上から、大きさで狙いを付けて、その目的のタイの鼻先に針を落とせば、すぐ釣れました。一方、ブリは大変です。呼吸をする為に、大きなプールを右回りで勢い良く、泳ぎ続けていましたが、針を入れると、すぐさま飛び付いて来るのです。小さな子供さんが、横の通路を歩いている時に、うっかりその針をブリのプールに落とした時、すぐ、ブリが飛びついて、子供さんはプールの中に引き込まれそうになったのです。係りの方が慌てて飛んで来られて、そのブリを離していました。ブリの体調は7~80センチでしたが、力は強いものです。年末には、正月用の魚を求めに、又来なくては・・・と、その日は、小魚だけで帰宅しました。


2014年2月2日日曜日

佐賀関灯台にドライブ

大分市での生活にも慣れて、やっと平穏な生活が送れるようになりました。ある日の日曜日、チュッとドライブでも行こうか・・・と、佐賀関方面に向かいました。中島十条の交差点から広い臨海産業道路を東へ。別府大分毎日マラソンのコースでもある、この40メートルの道路、大野川の大橋を渡った先で、この広い道路は行き止まり。右折して細い道を抜けて197号バイパス、豊後街道、あとは一本道。途中、この道路沿いに『吉田会館』も有りますが、今日はそのまま通過。佐賀関のフェリーターミナルを通り過ぎて、次の信号、金山交差点の信吾から左に入って佐賀関の港も過ぎ、地蔵寺を過ぎたところで、右折。道路は登山コースに入りますが、未だ道路幅も有って、大丈夫です。しかし、これから少しずつ狭くなって、私の車はタウンエースですが、対向車があるとすれ違うのに一苦労する道路になってしまいます。対向時にうっかり左に切り過ぎると、斜面から脱落する様な、大変狭い道路です。普通車のセダンの方と対抗した時には、私は窓を大きく開いて、相手の方に大きな指示を叫んで、無事対向した時も有りました。
 その先には駐車場も有りましたが、そこに駐車している車はその時には、1台も有りませんでした。車を止めて、灯台の方に向かいましたが、そこで思わず立ち止りました。ビックリしたのです。灯台に向かう道路、山の中の幅2メートル位でしたか、その道路に、大きなミミズ?、体長が30センチ以上有ったと思いますが、大きな虫が道路一杯に動いていたのです。足の踏み場が無い程では有りませんが、あれは気持ち悪かったですよ。すぐ傍を歩いても、跳び付いて来るとかの動作は見られませんので、そーっと、踏み付けない様に気を付けて歩きましたが、これには驚きました。灯台の足元には広場もあり、そこには変な生物はいませんでした。豊後灘を一望出来て、気分もスッキリ。灯台は無人の様で、立ち入りは出来ませんでした。
 帰り道は、駐車場の先へ進む道も有りましたが、その先は行った事が無かったので、来た道を引き返しました。帰り道には対向車と出会う事も無く、山を転げ落ちる心配もしなくで済みました。
 この佐賀関には取引先のガソリンスタンドが有る為、私も急ぎ便の時には会社から走った事も有りましたので、佐賀関の港付近までは、何度か走った事も有りました。しかし、佐賀関の街から裏山の灯台付近にまで走ったのは初めてでした。途中、普通車同士では対向困難な場所が有るとも知りませんでした。これから、車で向かわれる際には、その点をよくご承知の上、運転には気を付けて行かれる様、お勧めします。
 だけど、その山道に居た、大きなミミズ??、あれは一体何ていう名前の生物だったのでしょうか。その当時、会社の方にも伺ってみましたが、正確なお答えは得られませんでした。これは、今でも、何か信じられない様な、まるで別世界に行った様な、そんな思いが残っています。もし、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えて下さい。お願いします。

雨が降った翌朝、コーナー部分の大きな穴にビックリ!!

引っ越しを完了して、玄関前の植え込み、門扉、ガレージのアコーディオンフェンスの取付も終わり、やっと家らしくなりました。敷地の南側の庭には、業者の方に野菜等を植えたいと伝えたところ、黒い火山灰の入った土を、車1台分入れて下さいました。
 入居してから1週間位の時でしたか、大雨が降ったのです。別に、何とも思っては無かったのですが、翌朝、家の外に出てみてビックリ、住宅地の裏側、コーナー部分に水が溜まって、それが地中に流れ込んだのでしょう、土地が削られて、深い穴が出来ていたのです。このまま放置していると、更に穴は大きく深く、周囲の土が流されてしまうと思われますので、慌てて、新築をして頂いた業者の方に電話を掛けました。外部の下水道に連結する枡は1個だけは設置してありますが、屋内の排水用の雨水枡は全然取り付けていない・・・との事。屋根からの雨水は、敷地内に流されていたのです。一般の方でも取付は簡単に出来ますから・・・と、約30センチ角のコンクリート製の枡を7個と、10センチ位の塩ビのパイプを数本、持って来て下さいました。パイプの設置方等を教えて下さったので、後は家族4人でスコップ片手に、家の周囲に排水用の枡とパイプを設置しました。屋根から降りている雨どいの水を枡に入れて、それを次の枡に流して・・・・。全部で7個の枡を取付ました。この雨水を流す枡等の設置も、当然新築工事に含まれていると考えていましたが、私の会社の社長にお願いして、お知り合いの大工さんに新築をお願いしたので、どなたでも出来ますから・・・との事で、私達が作業をする事になったのです。ま、工事その物は、何の技術も不要で、水が流れる様に、少し高い位置に穴をあけて、次の枡には、少し低い所に取付けをすれば、雨水は自然とパイプを流れて、宅地の外に出せます。基本は簡単ですが、しかし、スコップで、雨水枡の大きな穴、パイプを埋め込む用の掘り下げ穴。普段、その様な工事はした事が無かったので、正直、大変でした。しかし、数時間かけて、家の周囲を一周するように、雨水枡、排水パイプを取りつけて、屋外に繋がっている枡に取り付ける事が出来ました。穴掘りの前に、庭に入れていた小石を表面に戻して、工事は完了しました。でも、屋根に降る雨水の勢いは凄いのですね。排水コースが無ければ、柔らかい部分を見つけて、地中に流れ込む為に、周囲の土を流して、大きな水路を地中に開けて・・・。その部分には、業者の方が、土を運んで来て下さったので、簡単に蓋は出来ました。裏のコーナー部分。柔らかい土が入ったところでしたので、そこには茗荷を植え込んで、一見落着。もうこれで、雨が降っても心配は不要です。雨水に、これ程の威力が有るとは知りませんでした。良い勉強をさせて頂きました。