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関西汽船のさんふらわあ 当時はもう一代前の型でした |
次の日からは、本社経理部での引き継ぎ開始。この当時は、全社の経理システム関係を担当していましたので、システム部等との引き継ぎもあり、中々大変でした。この当時の経理システムが起動する時には、そのシステムに登録する取引先コード等は私の担当でしたので、5桁の取引先コード、約10万件近くを、私一人で入力変更。全社システムが無事に立ち上がっていましたので、その点は助かりました。稼働前でしたら、ホント大変でしたが・・・。
自宅内では、単身赴任に備えての準備が始まりました。賃借のマンションですので、当然ながら賄いは有りません。自炊用の包丁、まな板等を買い揃え、又、電子レンジ、トースター等も新たに購入しました。この当時は、タウンエースに乗っていましたので、引っ越し便は無し。1台の車に全てを積み込んでの赴任でした。赴任は、長距離運転では無く、関西汽船を利用しました。関西汽船の利用も初めてでしたが、地図の上で、大阪南港の付近を頭の中に叩き込んでの出発でした。港まで見送りに行こうか・・・と、家内の提案も有りましたが、自宅までの帰りが大変だから・・・と、見送りはキャンセル。初めての大阪南港は遠くに感じられました。南港大橋に辿り着いた時には、ヤレヤレと思った程です。フェリーに乗るのも、全くの初めて。車を載せて、指定されたペッドに付きましたが、同室の皆さんは、勿論未知の方々でした。出航時はデッキに出て港を眺めていると、定刻、ドラが
鳴らされて、岸壁に向けてテープが投げられました。今迄、出航は、宇高航路でも経験は有りますが、高いデッキから岸壁を眺めながらの出航は初めてでした。その時、思いました。見送りを断っていて良かった・・・と。もし、見送りに来ていたら、テープを投げて、多分泣いただろーな・・・と。出航の寂しさを、凄く感じたのです。知り合いは誰もいませんでしたが、離れる岸壁の写真は撮影しました。出航後、部屋には一時戻ったものの、初めての方々と話す事も無く、ベッドに転んでいましたが、神戸到着との事で再度甲板へ。大阪南港から乗って、神戸で下船する方も多いのですね。乗用車が何台も降りて行きました。再び出航しましたが、周囲は真っ暗の闇の中。ベッドに戻ってもする事も無いし、調度この頃開通した瀬戸大橋を眺めよう・・・と、甲板で待つ事にして、持参した144MHzのアマチュア無線のハンディ機で交信を試みてみたり。しかし、普段話している方々とは遠過ぎて交信は不可能でした。神戸から岡山の瀬戸大橋まで、すぐだろう・・・と考えていたのですが、真っ暗の中、凄く遠くに感じました。遠かったですよ、ホント。午前0時を過ぎて、やっと瀬戸大橋の下を通過、照明も無い真っ暗な瀬戸大橋をやっと通過して、ベッドに入りました。ひと眠りして、今度は是非、日の出を見よう・・・と、早めに起き出して甲板へ。豊後水道に掛かって、その先に九州の地が見え始めたのですが、長い時間が掛かりました。別府港に接岸する状態を確認したかったのですが、ドライバーは車に乗る様にとの船内放送で、止む無く車へ。初めての別府港、フェリーの桟橋から降りて、国道10号線に乗った時、引き継ぎの時に走った時とはまた違った、新天地に付いた・・・といった感激を味わったものでした。ホント、初めての単身赴任でしたから、その思いは大きな物が有りました。別府港内から国道10号線に出た時、別府市内から別大の海岸線に入った時。全く初めての地に入る様な深刻な感じを抱いたものでした。4年間との期限付きの赴任でしたが・・・。
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