2014年1月28日火曜日

大分への引っ越しは 『0123』で・・・


 大分市泉町の新築工事、昭和63年3月半ばには住宅本体の工事が完了しました。玄関前の庭の工事等は未完成でしたが、入居は差し支えないとの事。単身赴任の住宅は民間の賃貸マンションでしたので、3月末迄には引っ越しを完了させようと考え、3月最後の日曜日の転宅を計画しました。若い頃の近距離の引っ越しは何度か経験していましたが、大阪から大分まで、子供達も中学生以上に成長してからの本格的な引っ越しは、全く初めての経験でした。当時テレビで流されていたコマーシャルは『0123』だけ。本格的な引っ越しは、ここしか知りませんでした。3月最後の日曜日に大阪で搬出、月曜日に大分へ搬入の計画で、『0123』に依頼。家族の移動も有る為、前々日の夕方、別府港からマイカーと共に『さんふらわー』で出発。翌朝、南港で下船、南港大橋を渡った辺りで、後部のガラスに異常を感じました。アレッ?と、ワイパーを掛けましたが、全然効果無し。ナント、驚きました。後部のガラスが割れていたのです。船中で何かトラブルが有ったのかもしれませんが、下船時には気が付かなかったので、仕方ありません。大阪の自宅に到着後、近くのカローラ店でガラスの修理を依頼。修理はその日に終わりました。割れた原因は、全く解らず、不本意では有りましたが、私の点検不足でしたので、仕方ありません。
 引っ越し荷物は、ある程度の準備は出来ていましたが、屋根の上のアマチュア無線のアンテナはそのまま。帰宅後、早速作業は屋根の上。ベランダに脚立を立てる事で、屋根の上には簡単に上がれましたので、当日は一人での作業でした。ルーフタワーに乗ったHFの2エレ、50MHzの5エレ、144MHzのスタック、7C2Vのケーブル等を取り外して、比較的簡単に終えました。取付時と違って、途中の測定等は不要ですので、スムーズに終了。引っ越しの当日、引越専門だけに、食器類等の専用ケース等で、全てお任せ・・・の状態で、どちらかといえば、見ているだけ・・・みたいな感覚でした。積み込み完了後は、手許用品だけをマイカーに積み込んだ上で、ご近所に、ご挨拶。再び、向かったのは大阪南港。午後7時の出航時、家族みんなでタラップからテープが投げられる風景を眺めていましたが、単身での出発時とは大違い。出航の寂しさは、この時は全然有りませんでした。1人の時とは大違いでした。いつもと違って、船室も定員4人の部屋。僅かでしたが、畳もあり、家族でゆっくり。私以外は全員が『さんふらわー』は初めてでしたので、船内を私が案内。ホント、一人の時とは大違い、その時、家族って良いな・・・と、思ったものでした。みんな一緒に、神戸港の乗下船風景を眺め、又、瀬戸大橋通過をも確認しました。
 翌朝、別府港でマイカーに乗って下船してからは、7ヶ月間走った道路、運転をしながらまるでバスガイド。何しろ、私以外は、全員が別府から大分へは初めて。右や左を眺めながら、泉町の新居に到着。引っ越しトラックの到着を待ったのです。ところが、大変な事になりました。自宅前の道路は4m道路。ナント、10トントラックが入って来られないのです。どうしようか・・・と、私達は慌てましたが、やはり餅屋は餅屋。便利屋さんの軽トラックが2台、駆け付けて下さったのです。30m程手前に止まったトラックから、折り返し運転をして下さって、全て無事に搬入は完了しました。最後に、請求書を出されて、これは会社宛に請求します・・・との言葉に、何も知らない私は、今、支払いましょうか?・・・、幾らですか?・・・。70万円・・・の言葉を聞いて、そんなの今は持って無いわ。請求して・・と、慌てて言ったものでした。距離を考えずに、安易に、良くも言ったものです。家具等は設置予定の場所に全て配置済みですので、後は比較的ユックリ。家族揃って初めての大分の夜。歌って踊って・・・(そこ迄はホントはナシ)。泉町での生活がスタートしました。

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