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和食の懐石料理、大分都町の 割烹ほり川でした |
今迄も、何ヵ所かの転勤は経験ありましたが、それは全てが関西地区内でした。初めての九州で、その慣習、生活内容の違いには、驚く物が有りました。赴任初日は、ご同行して頂いた九州支店の支店長と共に、現地の社長と3人で、料亭での食事でした。懐石料理で充分に満足したのですが、それだけでは終わりませんでした。近くのスナックを数軒、お伴をさせられました。初めてのホテルに入ったのは、深夜を回っていました。ま、初日だから仕方ないか・・・と、考えていたのですが一日だけでは有りませんでした。次の日、支店長は1泊だけで、次の日は姿が有りませんでしたが毎晩、毎晩、私の夕食はいつも現地の社長とご一緒。スナックもご一緒。私からの支払いは一切無し。驚きました。毎晩外食で、毎晩スナック、バー、ラウンジ等で過ごさせて頂いたのです。大分では、繁華街は都町。大分市内のほぼ中心部で、駅からも近い場所で、全てが揃っていました。毎晩、食事、飲食の後、社長の通勤車は代行運転で帰宅。私はホテルまでタクシーで帰着。驚きました。それ迄、関西では外食といえば、忘年会か新年会等、特別な日に限られていたのですが、本当に毎晩。参りました。それと、スナック等では、カラオケが付き物です。私は、それ迄カラオケ等は全く経験していませんでした。でも、覚えざるを得ない状況。一つしか知らなかった歌、香山雄三さんのお嫁においでよ。強引に歌わされました。いつの間にか、カラオケがセットされ、ホント、初めて歌わされました。又、スナック等でも、キープするのは洋酒では無くて、一升瓶の焼酎。雰囲気が関西とは全く異なりましたが、少なくとも、約束の転勤期間、4年間を無事まっとうする為に、努力しなければ・・・と、覚悟を決めたのでした。(これは昭和62年の想い出のお話です。ブログ上、前回から継続のつもりで、時期を書いていませんでした。現在のお話では有りません)
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