2013年9月15日日曜日

秋の全校合同大運動会で、大失敗!!

(岐阜聖徳学園大学附属小学校のHPから拝借掲載)
10月に入って最初の日曜日、岡山大学教育学部付属幼稚園・小学校・中学校の合同運動会が開催されました。生徒数だけで、幼稚園が約100名、小学校約800名、中学校約800名、合計約1,700名。そこに、応援のご父兄方がおみえになりますので、全体では約2,000名から3,000名の大集会となります。中央のグランドは一周200メートルのトラックですが、その周囲は人、人、人で一杯の状況になります。
最初は、北側の入場門からは幼稚園と小学校生徒、南側の入場門からは中学校の生徒達が、音楽に合わせての入場行進。全員が足を揃えて、まるで国体の開会式と同様の入場行進です。来賓、幼・小・中の校長の挨拶、中学校の生徒会長の選手宣誓・・・と、開会式が進められ、引き続いて全校でのラジオ体操第一が始まるのです。そこで、体育委員長の私が壇上に上がって指導演技が開始されます。音楽に従って、体操の演技をするだけですので、特に問題は有りませんが、指先を軽く握っている時、その指先を延ばす時、又、踵の上げ下げも、基本に忠実なスタイルでの演技を心掛けました。これは、体操を基本通りに実行するだけですから、特に問題は無く無事終了。
 全体の人数が多い為、出場回数も自然と限られますが、中学校のメインの競技はスウェーデンリレーでした。学年ごと、クラス別対抗戦です。男子の場合には、第1走者が100メートル、第2走者が200メートル、第3走者が300メートル、第4走者は400メートルを走るリレーです。(女子は各半分)
 運動会の司会は、幼稚園、小学校、中学校でそれぞれ交替し、中学校の司会は私達の担任の体育教師が担当していました。普通のアナウンスでは有りません。陸上競技の場内放送は、独特の抑揚を付けて話すのです。語尾だけを下げる案内の仕方、その案内の抑揚の付け方を真似ていましたので、まるで陸上競技場の様な雰囲気になっていました。
 2年生までは別に何の問題も無く進み、いよいよ、私達3年生のレースとなりました。私は当然アンカーの400メートル。普段は400メートルなんて走る事もありませんので、まあ、無理をしないで走れば良いわ・・・と、考えていたのです。いよいよスタートしました。ところが私のクラスの走者はどんどんと遅れ、私がバトンを受け継いだ時には、先頭とは7~80メートルの差がありました。400メートルの全力疾走は出来ませんので、200メートルトラックの1周目は、はやる気持ちを抑えて押さえて、やっと1周を終えた時に、それ行けっと、ピッチを上げての走行をしたのです。どんどんと第一位の選手に追い付きそうな私の走行を見て、場内アナウンスが流されていました。『只今第2位を走っていますのは体育委員長のかわさき君で有ります・・・』と、陸上競技のアナウンサーの音声に合わせての放送が流れていました。第2位として、前方に目標が見えていましたので、比較的気持ちの上では楽に、走り続けていたのです。7~80メートル離れていたものが、200メートルを過ぎてから急にスピードアップして、どんどんと追いかけて、応援の方々も夢中になって声が上がっていました。残り40メートル付近では、遂に追い付き、これから抜きに掛かろう・・・とした、その時でした。
それ迄先頭をのんびり走っていた選手が私が追い付いた事に気付き、慌てて逃げ出したのです。
逃げる側の選手は、それまで、のんびり走っていただけに、体力は充分残っていたみたいで、即、全力走行を始めたのです。私は、追い付く・・・と、思ったところで急に逃げられて、ガクンと力が抜けて、残りの2~30メートルを走るのが精一杯で、結果としては、抜き去る事は出来ませんでした。
ゴールに入るなりグランド上に倒れ込んでしまいました。
 超満員の観衆の前で演じた私の恥ずかしい走り、追い付く寸前までは行きながら、逃げ出した姿を見て、ガクッとショックを受け、あとが続かなかった事は、今でも、悔しいだけで、取り返しの付かない大失敗でした。後から何度考えても、あの時、ガクッときた私が納得できないでいます。最初から追い抜くのが無理と考えていたら、ここまでの悔いは残らないのですが、あと一歩まで行きながら、そこで力尽きた私が、どうしても納得できない、悔しい思い出です。この悔しさは、何度思い出しても、もう一度、このレースを走り直したい、そんな思いです。一位の選手に逃げられて、逆転が出来なかっただけで有れば、何とも思わないでしょう。逃げられて、それを見て、ガクッとそれまでの力が抜けてしまった事が、自分自身どうしても納得できないのです。余りに情けない自分が、納得できなくて・・・。でも、それからは、その様な経験をしない様、全てに心がけてはいますが・・・。

2013年9月12日木曜日

中学校の映画鑑賞会。 ところが、その日にハンドボールの練習試合!

7人制ハンドボールのゴール
中学校の3年生になってからでしたが、7人制のハンドボールを授業で教えて頂きました。それまでの11人制と違った点は、競技コートの広さが約半分になり、ゴールも約半分の大きさになりました。当然ゴールエリアラインも小さくなり、その外にフリースローライン、又、サッカーではペナルティーキックですが、ハンドボールではゴールの前7メートルの位置からのペナルティシュートが与えられるようになりました。最近の7人制のハンドボールは、体育館の中でやりますが、当時は屋外、土のグランドにラインを引いてゴールポストを置いてあるだけです。
 私達の学校にも新しいゴールポストが届けられましたが、便宜上、移動式の物で、数人で運んでコートの準備をしていました。体育の授業でも、2組のチームに分かれて練習試合も経験しました。ドリブル等については、11人制のハンドボールと同様でしたので、人数が少なくなった事、競技場の広さが狭くなった事等が変っただけで、プレイする上で、それ程、大きな改革とは感じてはいませんでした。でも、ゴールエリアライン間近からジャンピングシュートをしようとすると、ディフェンスの方の手が、首に掛かってきて、首を締め付けられる様なケースが多くなり、7メートルのラインから、ペナルティシュートをする機会が多くなった事は事実です。11人制の時は、コートも広く、ゴールエリアラインでジャンピングシュートを試みても、ディフェンスの人が近くに寄って来るのに時間が掛かりますので、首に手が掛かる事等はほとんど無かったのですが、コートが小さくなっただけに、ディフェンスの人の壁がすぐ出来上がり、その隙間を狙ってのジャンピングシュートですから、どうしても首に手が掛かってしまうのです。しかし、私はそのペナルティースローのシュートは大好きでした。7メーターの位置からゴールキーパーと一対一のプレイです。7メートルラインの手前に左足を置いて、倒れ込みながらのシュートです。倒れる寸前まで右手からボールを離さない為、ゴールキーパーはどうしようも有りません。で、ゴールキーパーの位置を確認して、コーナーを狙ってのシュート。得点が入れば、例え練習でも嬉しいものです。
 ところで。中学校では、年間3~4回の映画鑑賞が有りました。校内の売店で入場券を購入して、一般の映画館での映画鑑賞です。通常よりも早い時間、8時過ぎからの上映開始で10時過ぎには終わる様なパターンで、映画館の一般営業には差し支え無い様な特別映写会でした。確か、岡山駅前の歌舞伎座だったと思いますが、仲の良かった例の裕子さんも行きたい・・・との事で、同行する約束もしていたのです。映画のタイトルは忘れましたが、私も是非見たいと思いましたので、売店で入場券を購入、その日を楽しみにしていました。
 ところが、担任の体育教師から、映画観賞会のその日曜日に、他の中学校とハンドボールの練習試合が有るから、まあ頼まあ・・・、と言われたのです。映画に行きたいのに・・・、時間を尋ねたところ、午後1時の試合開始と聞いて、ヤレヤレでした。岡山駅からだと、市内電車で15分も有れば帰り着く事が出来ます。
 映画観賞会当日の朝、映画館に行くと担任の体育教師が、なんじゃあ、映画に来たんか!と、不満そうな表情でした。でも、それ以上は何も仰いませんでしたが・・・。

 映画が終わると、その足で一度帰宅、体操服に着替えて、自宅から5分位で学校に着きました。コートは、もう一人の体育教師の手配で、すっかり出来上がっておりましたので、数人でハンドボールを投げたり、ドリブルしたり・・・と、練習、ウォーミングアップ。試合開始のホイッスルが吹かれて試合開始。シュートの場面では、どうしても私にボールが渡されるので、相手側も、私の周りはディフェンスが一杯。その間からジャンピングシュートをやるものだから、毎回二人掛かりで左右から首に手を掛けられて、ほとんど毎回、7メートルスロー。又、そのほとんどをシュート完了していましたので、ゲームは一方的なゲーム結果となりました。
そのゲームが終わり、後片付けをやっていたところに、担任の体育教師が何処へ寄り道していたのか、映画館から戻って来て、ああ、試合に出とったんかー・・・だって。ホッとした顔をなさってました。
 当時、中学校にハンドボール部は存在していませんでしたので、全員が校内からの選抜でプレイしたのですが、でも、だいたい、いつもメンバーは決まってました。暗黙の了解ですかね。スポーツだと言えば、必ずお声が掛かっていました。でも、実は大失敗もやったことが有るのです。これだけは、今でも後悔していますが、ほんと、お恥ずかしい限りです・・・。近日中に白状します・・・。

2013年9月10日火曜日

鉄棒の演技、見事に失敗しました

記事とは関係の無い鉄棒演技の写真です
写真の鉄棒演技、手をクロスさせて、体を回転させるのでしょうね。鉄棒で回転、大車輪まで出来たら素晴らしいと思います。
 私も中学校のお昼休み、天気が良い日には、必ず鉄棒の周囲に陣取ってました。中学校には1基だけでしたが、大人用の鉄棒が砂場の横に設置されていました。毎日、毎日、鉄棒にぶら下がって、大車輪・・・とまでは無理でしたが、前回り、後ろ回り・・・と、続けている内に、巴も出来るようになりました。車輪までは、チョット怖くてトライ出来ませんでした。まず鉄棒にぶら下がって、身体を前後に振って、蹴上がりで上がってからは、前転、後転、巴・・・と、繰り返し、下に降りてからは鉄棒にぶら下がって、懸垂を何度も繰り返して・・・。
小学校の時には、グランド内を走り回っていたのですが、さすがに中学校では走り回ろうにも、仲間がいませんので、鉄棒の有る砂場の周囲が昼休みの憩いの場でした。
 ところで、最近は学校等で、監督とか指導者の方々の暴力が報道されていますが、私の知る限りでは、コーチなどは一度もお世話になった事は有りません。私の学校が、スポーツの強い学校で無かったからかも知れませんが、全て自分たちで自主的に練習していました。バレーボール部のキャプテンでしたので、ある日、学校近くのお宮、玉井宮という神社の階段まで走って行き、階段を上り下りするトレーニングをしようとしました。すると、部員の口から、「何でバレーボール部員が階段を走らにゃいけんのじゃー・・・」と、ブツブツと言う声が聞こえて来ました。私の指導力不足だったのでしょう。バレーボールは、ボールだけを打てれば良い、体力増強等を考慮する事は関係無い・・。敢えて、それ以上の説明はしませんでした。
 3年生の時、担任は体育の教師でした。今日は鉄棒の練習・・・とかで、小学生用の低い鉄棒の並んでいる場所に集合しました。そこで、鉄棒の上での、前転、後転の説明後、私を指名して、巴を皆に見せてくれ・・・と、巴の演技を指示なさったのです。普段の昼休みの時間に、鉄棒の上で私が巴を軽々と演じている姿をご覧になっていたのでしょう。私も、何の抵抗も無く、指示に従おうとしました。しかし、普段ぶら下がっている中学校の鉄棒は地上2.4メートル位の高さですが、当日の鉄棒の高さは1.2メートルと、低い高さの鉄棒。軽ーい気持ちで巴を演じようとして、見事に2回失敗しました。先生も私に気をつかったのでしょう 「ああ、もうええわ、ええわ・・・、急に言うたから、慌てたんじゃろう、普段はいつも調子ようやっとったから呼んだんじゃけど・・・」と。
 その時、何故、巴が出来なかったのか、私自身、凄く不思議でしたが、ホント、今頃になって、鉄棒の高さが違ったから、その感覚が狂ったのかも・・・と、考えているところです。
 最近のお子さんは、鉄棒の逆上がりを練習する時、足で走って、勢いを付けて鉄棒に足から上がろう・・・となさっていますよね。私の考えでは、まず足を上にして鉄棒にぶら下がって、それから腕に力を込めて、足と腰を上に持ち上げたら、すぐ出来るよ・・・と、言いたいのですが、未だ一度も言わせてもらった事は有りません。私は、その様に信じているのですが・・・。子供さん達、未だ、そこまでの筋肉はついて無いのですかね・・・。一度、機会を作って、孫に教えてみる事にします。叱られるかな?



2013年9月8日日曜日

朝礼の発表、メモを見るだけではなく、全体を・・・

岡山大学教育学部付属中学校の専用門付近・正門は別です
中学校2年生の運動会終了後から体育委員長を務めました。毎月開催のクラス対抗戦の組み合わせ発表、又、終了後はその結果発表で、毎週月曜日の始業前に開かれる朝礼の場での発表も少しずつ慣れ、大きな声で全体に聞こる様に声を出す事も可能になって来ました。
 最近であれば、全校集会等は体育館内で実施されていると思いますが、私達の時代には体育館も無く、いつも中庭で実施されていました。従って、雨の日には朝礼は中止、緊急連絡事項が有れば、校内放送を通じて実施していました。屋外での全校集会ですが、その姿は、まるで現代の運動会、開会式を思い浮かべて頂ければ、想像が付くと思います。1年生を中央にして、左右に2年生と3年生、各クラス男女別に縦に一列になって、正面には1メートル少々の高さの演台が置いて有りました。全校で約750名の生徒ですから、縦の1列が約30人位ですので、結構広い場所でした。しかし当時はマイク等の設備は有りません。発表は演壇の上で、声を張り上げての発表でした。私はいつも、発表内容を間違えない様、メモを手にしての発表でした。しかし、先生方は余程の事がない限り、メモも無く、顔で周囲を伺いながらの発言をなさっていました。
 そこで私も、メモ書きばかりを見るのでは無く、前にも顔を向けて、全体の様子を見ながらの発表をしよう…と、大きな夢を抱いたのです。3年生の6月頃でしたか、クラス対抗戦の結果発表。手には得点のメモ書きを持って、いつも通りに朝礼台に上がりました。いつもでしたら、顔はずっとメモ書きを見ているのですが、その日は違いました。メモを見て、優勝は1年生はA組、得点は〇〇点、と発表して、そこで一度顔を挙げて全体を見回した後に、2年生はD組・・・と、メモの内容を記憶しては前を向いて、顔を上げて発表したのです。無事、トチル事も無く、無事に発表を終えました。自分では凄く満足した気分でした。顔を上げて、みんなの顔を見ながらの発表が狙いでしたから、ホント、満足感に浸っていたのです。
 朝礼が終わって教室に戻ったところで、同じバレーボール部の女性が私に話しかけて来ました。
「今朝の朝礼で、裕子の方ばっかり見てたなあ、・・・ みんな言うとったよ・・・」と。私はキョトンとしました。別に、特定の方を眺めていたのではないのですが、生徒の側からは、普段とは違うスタイルに、何か特定の事を結び付けて考えた様でした。名前を上げられた裕子さんとは、1年生の同じくバレーボール部員の方です。ま、仲は良かったですよ。バレーボールの練習後は、自宅が同じ方向でしたので、学校を出る時は、ほとんど一緒でした。でも、当時の中学生は、現代とは違って、特別のお付き合いなど有り得ないのですけど、周囲の方は、そんな事を考えていたのか・・・と、驚いた事もありました。
 しかし、毎月3~4回は朝礼で発表していましたので、今から考えるとその経験は大きなものが有りました。人前での行動、発声等、何も恐れなくなった事です。高校3年の時でしたか、8ミリ映画の試写会に東京まで行った時、突然、司会者から紹介され、挨拶を求められましたが、無事完了しました。何の準備もしてなかった時に舞台に招かれたのには驚きましたよ。ヤレヤレでした。でも、ホント、良い経験を重ねました。

2013年9月5日木曜日

審判は判定結果を 手振りでハッキリと・・・

中学校入学後、友人の誘いもあってバレーボール部に入りました。兄達の大反対を押し切っての運動部入部でした。兄達は、スポーツにはそれ程興味が無かったのか、文化系のみで、体育系の部活動は家族の中では私が初めてでした。当時のバレーボールは現在とは違って、全て9人制、又、コートも体育館の中では有りません。屋外の土の上のコートでした。1セットの得点も21点先取でセットが決まり、1試合は3セットのゲームでした。サービスは2本制で、2本失敗すると相手の得点となっていました。
 校内のクラス対抗のゲームでは、当然バレーボール部員が審判を務めました。ラインズマンとか副審は一切無し。主審一人での審判です。私の場合、ホイッスルを吹くのも、弱いホイッスルを吹くのは嫌でしたので、力一杯にホイッスルを吹いていました。当時、学校で使用していたホイッスルは、写真左側の、現在も警官が使用している様な、ピリピリッと言う様な鳴り方のホイッスルでした。右側のピーというホイッスルは、小学校の女性の先生が使用していただけで、他は全てピリピリッのホイッスルでした。
 バレーボールの主審を務めると、ホイッスルとなった判定の原因を示す事が必要です。ドリブル、ホールディング、オーバーネット、アウト、セーフ・・・、等々、ホイッスルを吹くと同時に、その判定結果を両手で示した後に、得点側の手を挙げていたのです。グランドは土ですから、アタックとかサービスで微妙な判定が必要な場合には、ポールの定位置を離れて、ボールの落ちた場所を目で確認して、それを指さして選手達に説明した事もありました。
 1学年5クラスでしたから、リーグ戦で4試合、男女別ですので8試合、3学年で合計24試合を行っていました。コートは男女それぞれ2面有りましたので、バレーボール部員が交代で審判を努めて、コートの周りは応援のクラスメートで一杯になっていました。ところが、私が審判を努めている試合は、余りにも取り巻く応援(?)が多かったのです。後日、他の女子バレーボール部員から聞いた話ですが、私のレフリーの判定結果を知らせる動作が大きく、両手でやっていましたので、何か、踊っているみたい・・・とかで、評判になっていたそうです。でも、判定結果のその理由を明示してくれない審判では、見ていても面白くないですよね。最近見たテレビですが、女子バレーの国際大会で、全然ゼスチャーで表示しない女性のレフリーもいましたが、えっ、今の得点は何? と、いったシーンが、かなり多くみられました。
 ところで、1日に2試合程度ずつレフリーを努めると、その後は大変でした。学校に居る間などには気付きませんが、夜、入浴などの際、耳に中はキーンと、耳鳴りが激しく続いていたのです。
ああ、今日も耳鳴りが酷いなあ・・・で、辛抱していましたが、それが積み重なって、成長してきた現在、一年中、私の耳には秋の虫が鳴き続けています。私にはその様に聞こえるのです。つまり、耳鳴りが酷く、キーンと鳴り続けているのですが、まるで秋の虫達が鳴き続けている様な感覚です。最近、一番困るのは、電子式体温計、最近の体温計は計測が終わるとピーッと、音を出しますよね。あの音が聞き取れないのです。決して聴力が悪い訳ではないのですが、800Hz当たりの音が少し弱い様です。高校生の頃に耳鼻科にも行きましたが、どこでも治療方法は指導して頂けませんでした。今現在も、周囲は静かな夜ですが、耳の中では秋の虫達が、ミーンと泣き続けています。耳鳴りは残ってしまいましたが、しかし、今、その当時の事を思い出すと、ああ、あの頃は楽しかったなー・・・と、思い出しているところです。
 放課後に私を探す場合には、グランドに出れば必ずどこかに居る・・・というのが、後から聞いた先生方のお話しでした。

2013年8月22日木曜日

サウスポーのイチロー、何故バットの握りが反対??

平成25年8月22日、イチローが日米通算で4,000本の安打を打ちました。新聞・テレビでは大きく報道されています。
 同日の毎日新聞夕刊の誌面に『がんばろう神戸』の記念写真、撮影は中村琢磨さんとの添え書きで掲載された写真。イチローはサウスポーです。サウスポーでしたら、左手が、右手の上に無ければバットは振れません。実戦での写真では無いので、この様なポーズをなさったのでしょうか?
 どう考えても納得が出来ません。小さな子供が初めてバットを握ったみたいなこの写真、毎日新聞の見解をお伺いしたいものです。毎日新聞に電話をしようかとも考えましたが、午後7時を回っていますので、担当者が不在とかで、正確な返答は頂けないものと思われます。後日、確認してみたいと考えています。

2013年7月28日日曜日

Uコンの模型飛行機、昔の練兵場でした

(アンサイクロペディア フリー百科事典零細のイラスト)
今から何年前になりますか、私が小学生の頃、岡山市にも小さな飛行場が有りました。確か原尾島の練兵場・・・と、記憶しているのですが、今、地図で見ると、原尾島とは全く場所が違っています。地図の上で、私の記憶では、現在の津島の辺りです。今は陸上競技場を始めプール、ラグビー場等のスポーツ施設になっていますが、私の幼い頃は、草の生えた広い空き地でした。その真ん中辺りに、アスファルトでは無かったですね。小さな小石を敷いて踏み固めた様な1本の飛行場が有りました。滑走路らしきものは東西方向に延びた1本だけでした。時たま、そこにセスナクラスの単発機が着陸する事が有りましたが、飛行機が降りると、私達、近所の子供達は喜んでその姿を求めて集まったものでした。でも、一度だけですが、子供たちが集まって飛行機を遠巻きに集まると、乗っていらっしゃった方が、拳銃を手にして降りて来られた事が有りました。終戦後10年も経つか経たないかの頃でしたから、外国の方が、飛行機の不調か何かで降りて来られたのかもしれません。そこに、周囲を現地の子供たちに取り囲まれで、ビックリなさったのでは無いかと思います。勿論、子供達は、それ以上には近付きませんでしたので、拳銃の発砲は一度も有りませんでした。その内に警察の方ですか、車が近付いて、暫くすると再びセスナは飛び立って行きましたが・・・。
 その広ーい原っぱ、練兵場の跡地といえば、当時のマニア、エンジンの付いた模型飛行機を飛ばすには、持って来いの広場でした。その当時、ラジコンの飛行機等は未だ有りませんでした。イラストに有ります通り、飛行機には、細いワイヤーケーブルが2本、主翼の付近を経由して、水平尾翼のフラップっていうのですかね、飛行機の上下だけをコントロール出来るようになっていました。操縦する人は中央に立って、20mか30m位のワイヤーに付いた飛行機を飛ばしたのです。飛行機が真っ直ぐに飛んだのでは、操縦する人は飛行機に付いて、一緒に走らなければなりません。それは無理ですから、操縦する人は一か所に立って、その円周を飛ばすのです。従って操縦する人は、飛行機の回転に合わせてぐるぐると回転しながらの操縦でした。慣れた方々は、飛行機の飛ぶその円周状に、竹先に風船を付けてみたりして、上手く割る事ができるか・・・とか、していました。いまから考えれば、単純な遊びかもしれませんが、私達子供にとっては、珍しくもあり、又、羨ましくも思った物でした。飛行機は、操縦者を中心にグルグル回るだけですが、上手い人は宙返りをさせてみたりもしていました。当時の子供達に出来るのは、せいぜいゴム動力の紙飛行機ぐらいでしたから、見てるだけでも楽しかった思い出があります。しかし、そのUコンの飛行機も、昭和35~36年頃に見たのが最後でした。もう、その後は、どんどんとラジコンの技術が進歩して、ヘリコプターも操縦出来る時代になりました。
 今日、フト思い出して、インターネットで『Uコン』を検索してみたところ、沢山見つかりました。
個人オークションのみならず、多くの模型店の広告も表示されていました。でも、少なくとも、都会では出来ませんよね。小学校のグラウンド位の広さが有れば出来ますが、でも、街中で模型エンジンの音を立てていると、きっと苦情が来ますよね。
 私も、室内だけ、それも自宅内だけですが、電動式のヘリコプターを操縦していた事は有ります。でも、最近のローターが2枚付いた、お子様でも飛ばせられるのとは違いますよ。
1枚ローターの、ラジコンも本格的にプロポーシャナルコントロール式を使って、静かに室内を飛ばせていました。機体の長さが60cm位でしたか、子供さんのおもちゃには、チョット危険なヘリコプターでした。今、私は、本当はラジコンで良いから、トレーラー車の運転をしてみたいのです。
でも、ハンドル調整も細かく操作できるプロポでなければ面白くないし、かと言って、本格的なトレーラー車は、本体が大きくて2m以上も有りますので、室内で走らせるのはちょっと不可能に近いので、諦めています。全長30cm位でプロポ式のが有ったら、飛び付くのですけど・・・。

2013年7月20日土曜日

日曜・祝祭日は右折禁止!   しかし、取締・指導は一切ナシ

この交差点、大阪府高槻市、枚方大橋北詰交差点です。この写真は南向きに撮影していますが、前方に見えるのが枚方大橋です。この写真からも判りますが、枚方大橋を北向き、高槻市に向かって走って来た車両の為に、右折専用のレーンも設置されています。3列停車しています。 平日は、信号も青、黄・右折の矢印、黄、赤と、右折専用の矢印の表示される信号です。しかし、日曜・祝祭日にはこの交差点、右折用のレーンも有りますが、右折は禁止されています。(確か、早朝・深夜は右折OKです)    交差点の標識も固定式の物ではなく、切り替え式の表示で直進か左折のみのマークに変更表示されています。しかし、この交差点、右折禁止の曜日、時間帯であっても、堂々と右折をする車が続いているのです。枚方大橋側の右折レーンには、『日祝 ✕』との道路標示は有りますが、そんなのはお構い無しです。私も日曜日にこの交差点を走った時に、赤信号を待っていた右折禁止車両が飛び出して来て、ビックリした事も有りました。その時です、私は運転中でしたが、枚方大橋を南進中に携帯電話で警察に緊急電話、110番に連絡したのです。110番の通信指令室の担当者は、何故、この交差点が日曜・祝祭日に右折禁止になるのか全く知らない状態でしたが、『すぐ向かわせます!!』と、最もなご返事を頂きました。枚方市で用事を終えて、電話から約30分後に枚方大橋を高槻側に渡りました。その時、この交差点の東側、右折禁止の車両が曲がる先の堤防上にバイクで来た警官の姿、1人だけでしたが姿が有りました。ドライバーの皆さん、良く分かっていらっしゃる様で、右折する車は全然有りません。当然ながら、橋の上からは、右折するその先、堤防上ですから、警官の姿は良く見えるのです。
 その時、私は一端交差点を通り過ごして、その先の道を左に折れて、Uターンして、もう一度、枚方大橋北詰交差点を北から来て、左折してみました。最初に警察官を見た時から15分も経過はしていません。しかし、その時には既に警官の姿、乗って来ていたバイクの姿も有りませんでした。110番通報を受けて、指令によって交差点には来たものの、違反車両が1台も無い事から、早々と撤退なさった様でした。この『110番通報』は、1度や2度では有りません。しかし、結果はいつも同じです。
 ある時、高槻保健所の南側の団地内で、白バイを止めて、書類を記入している警察官に訪ねた事が有りました。祝祭日、右折禁止の枚方大橋北詰交差点、北行きの右折禁止は指導も検挙も、何故しないのですか?と。すると、白バイの警官曰く 「警察も忙しくて、手が回らないのですよ・・・」
検挙も指導もしないのでしたら、あの交差点、右折禁止を除外したらどうですか?  日曜・祭日の右折禁止の目的は何ですか? と尋ねると、「あ、それは私には判りません・・・」。
取締りが、如何になされていないのかは、右折禁止の日に、交差点の真ん中辺りまで入って右折しようとしている車両、その横を白バイが平然と通過するのですから、如何に違反を放置しているか良く分かると思います。
 違反の状況を自分で撮影してYouTubeに投稿しようと考えましたが、自宅から少し遠過ぎるのと、暑い日が続いているので、未だ撮影できていません。それよりも、報道関係に連絡すれば、取り上げて撮影して頂けると考え、毎日放送テレビの『VOICE』の『憤懣本舗』に取材して欲しい・・・と、今年の6月4日夕方にメールを入れましたが、未だ、全然返信も何も有りません。
 この暑い夏を過ぎて、毎日がもう少し涼しくなったら、仕方無いので自分で撮影に出掛けます。今年の様な、これ程迄の異常気象で無ければ、又、もう少し私が元気であれば、すぐにも行けるのですけど・・・。暫くお待ち下さい。この秋には必ず撮影します。又、もしこのブログをお読みになった方で、有志の方がいらっしゃいましたら、どうぞ、一日も早く撮影、アップロードして下さって結構です。
 

2013年7月16日火曜日

服用する薬にご注意、薬が原因で障害者に!!

先日修理した電気ケトル、その後は何のトラブルも無く、元気に稼働してくれています。機械は不具合な部品等を交換すれば、すっかり新品同様に復元できます。
 しかし、人間の身体は、一度不調になると元通りには戻せないのです。先日ここでお話ししました、私の大腿骨董壊死の件です。MRIで、大腿骨の先端のボール部分が壊死状態と解りました。大阪医大で手術を受ける前に、それまでの経過を、整形外科医に詳しくお話ししました。何十年も同じ整形外科医院に通っていて、そこの先生の指示通りに薬を服用していた事。その薬を、手術担当の先生にお見せしたところ、その薬の中から、原因は、この薬!!と、一つの薬を示されました。ステロイドでした。私が長年通っていた整形外科医院では、最近でも全て院内処方を実施しています。院内処方ですから、薬についての説明は、先生から伺うだけです。最近の様に院外処方でしたら、処方されたそれぞれの薬の効能と共に、注意点等も文章で示されています。しかし、院内処方でしたので、包装を解いて、1回分ずつにパッキングされた状態で受領していましたので、私は馬鹿正直にその薬を何十年も服用していたのです。手術担当の整形外科の先生は、もし必要でしたら、私が証言しても良いですよ、と迄、仰って下さいました。この薬が大腿骨董壊死の原因に間違い無い!と、断言して下さいました。しかし、私が長年お世話になっていた整形外科医院の先生は、私の身内の紹介で行った医院でしたので、いえ、私には裁判沙汰は、チョット出来ません。ありがとうございます。と、手術担当の先生にお礼を言いました。
 ステロイド系の薬は数多く有りますので、ステロイド系の薬が全て駄目、では有りません。たまたま、私には駄目だったのです。
 平成14年12月24日に手術を受けて、今年で11年経ちました。今日、一年振りにその定期健診を受けました。レントゲン写真を前に、先生に尋ねました。手術の時は、電動のこぎりで大腿骨を切断したのですか?  大腿骨に打ち込む時は、ハンマーで叩いて打ち込んだのですか?
そうや、ハンマーの音は廊下までも響いとったと思うよ・・・。私は思わず呟きました。全身麻酔で良かった・・・と。
 薬の事を書いたので、もう1件、やはり私の経験ですが、鎮痛解熱剤として『ロキソニン』という薬が有ります。これも医院からの処方で、私はいつも鎮痛解熱剤として使用していました。これは、毎日の服用では有りませんでしたが、腰が痛い時等は何の抵抗も無く、毎日服用もしていました。実に良く効く薬です。体温が38℃以上あっても、服用後30分もすれば平熱に治まるのです。しかし、この薬が原因で、腎臓を痛めました。早くそれに気付けば良かったのですが、腎臓の生体検査を実施、IGA腎症で免疫抑制剤等で治療を続けましたが、好転は無く、現在では週3回の血液透析のお世話になっております。
 私の場合だけかもしれませんが、ステロイド系の薬、ロキソニンでは、取り返しの付かない状態に陥っております。健康な皆さんは、いろいろの先生から処方された薬を服用する前に、ご自分に適合しているかどうか、良く、先生に確認して服用なさって下さい。私は薬剤師でも無いし、まして医師でも有りません。自分が服用して失敗したお話ですので、何か、必要な時には、何かの参考になさって下さい。私は大腿骨董壊死で障害者4級、腎不全の血液透析で障害者1級になりました。
 最近は、価格の安いジェネリック医薬品が出回っていますが、新聞報道によれば、充分な検査もしないままで発売されているジェネリック医薬品があると聞きました。今までは、全てジェネリックで通していましたが、今後は、主治医にお願いして、ジェネリック品は拒否する事にしました。

2013年7月13日土曜日

クロネコのメール便、4日目にやっと届きました

7月9日に電気ケトルの修理についてブログに記録しました。温度ヒューズをインターネットで探して、すぐその日に発注。翌日10日、購入先から発送しました…と、メールが入りました。私が購入したのは、埼玉県草加市のお店からの購入です。小さな部品ですが、2個で500円。慌てて探しましたので、最初に見付けたお店に即発注しました。運賃はメール便で80円、合計580円でしたので、飛び付いてのオーダーでした。
 でも、その後、色々と検索したところ、同一の部品が284円で販売されているのも発見しました。あっ、えらい損したな…と、思いましたが、送料は宅急便で360円とか。送料を考慮すれば、埼玉県のお店も決して高くはありません。ヤレヤレでした。ところが、発送は郵便局の郵便ではなくて、クロネコヤマトのメール便。郵便物でしたら、埼玉県からでしたら、翌日には届きます。しかし、送料は同じ80円でも、クロネコヤマトのメール便は届きませんでした。発送日の10日には確かに埼玉県で受付しました…との表示はありましたが、その後は宅配便と違って、荷物がどこまで届いているのか、全然追跡表示は出来ません。今日は来るか、今日は来るか・・・と、首を長くして待ちました。10日の発送日を入れて4日目、13日の朝、やっと大阪で受け付けたとのネットでの表示、本日配達予定・・・との事で、朝から待ちました。しかし、届いたのは午後4時前でした。小さな封筒に入っていましたので、郵便局でも定型の郵便、送料は全く同じですが、届く迄の日数は少なくとも2日は違いました。これからの発注時には、指定できる場合には、宅配便のメール扱いよりも、郵便でお願いしようと考えた次第です。
 さて、温度ヒューズが届きましたので、早速修理に掛かりました。修理は簡単でした。今まで付いていた、断線した温度ヒューズは圧着端子で止められていましたので、同じく圧着端子で接続、修理はそれだけです。後はバラバラにしたパーツ類を組み立てるだけ。プラスのドライバーだけで、最初から30分も掛かりませんでした。早速、内部を水洗いしてから水を注ぎ、スイッチを入れると、いつものランプがグリップの上部に点灯。しかし、これだけでは未だ目は離せません。5分位ですか、沸騰する音がしばらく聞こえた後に、パチンと、聞き慣れたスイッチの切れる音、お湯が沸いた音です。それで、電源が切れましたので、これで、OKです。2,000円もしない電気ケトルですが、合計380円で修理は完了しました。もし、次回又切れた場合には、温度ヒューズが予備としてもう1本有りますので、大丈夫…。到着までに日数が掛かったのが応えましたが、でも、これで無事一件落着・・・、となった次第です。ヤレヤレでした。