2013年7月28日日曜日

Uコンの模型飛行機、昔の練兵場でした

(アンサイクロペディア フリー百科事典零細のイラスト)
今から何年前になりますか、私が小学生の頃、岡山市にも小さな飛行場が有りました。確か原尾島の練兵場・・・と、記憶しているのですが、今、地図で見ると、原尾島とは全く場所が違っています。地図の上で、私の記憶では、現在の津島の辺りです。今は陸上競技場を始めプール、ラグビー場等のスポーツ施設になっていますが、私の幼い頃は、草の生えた広い空き地でした。その真ん中辺りに、アスファルトでは無かったですね。小さな小石を敷いて踏み固めた様な1本の飛行場が有りました。滑走路らしきものは東西方向に延びた1本だけでした。時たま、そこにセスナクラスの単発機が着陸する事が有りましたが、飛行機が降りると、私達、近所の子供達は喜んでその姿を求めて集まったものでした。でも、一度だけですが、子供たちが集まって飛行機を遠巻きに集まると、乗っていらっしゃった方が、拳銃を手にして降りて来られた事が有りました。終戦後10年も経つか経たないかの頃でしたから、外国の方が、飛行機の不調か何かで降りて来られたのかもしれません。そこに、周囲を現地の子供たちに取り囲まれで、ビックリなさったのでは無いかと思います。勿論、子供達は、それ以上には近付きませんでしたので、拳銃の発砲は一度も有りませんでした。その内に警察の方ですか、車が近付いて、暫くすると再びセスナは飛び立って行きましたが・・・。
 その広ーい原っぱ、練兵場の跡地といえば、当時のマニア、エンジンの付いた模型飛行機を飛ばすには、持って来いの広場でした。その当時、ラジコンの飛行機等は未だ有りませんでした。イラストに有ります通り、飛行機には、細いワイヤーケーブルが2本、主翼の付近を経由して、水平尾翼のフラップっていうのですかね、飛行機の上下だけをコントロール出来るようになっていました。操縦する人は中央に立って、20mか30m位のワイヤーに付いた飛行機を飛ばしたのです。飛行機が真っ直ぐに飛んだのでは、操縦する人は飛行機に付いて、一緒に走らなければなりません。それは無理ですから、操縦する人は一か所に立って、その円周を飛ばすのです。従って操縦する人は、飛行機の回転に合わせてぐるぐると回転しながらの操縦でした。慣れた方々は、飛行機の飛ぶその円周状に、竹先に風船を付けてみたりして、上手く割る事ができるか・・・とか、していました。いまから考えれば、単純な遊びかもしれませんが、私達子供にとっては、珍しくもあり、又、羨ましくも思った物でした。飛行機は、操縦者を中心にグルグル回るだけですが、上手い人は宙返りをさせてみたりもしていました。当時の子供達に出来るのは、せいぜいゴム動力の紙飛行機ぐらいでしたから、見てるだけでも楽しかった思い出があります。しかし、そのUコンの飛行機も、昭和35~36年頃に見たのが最後でした。もう、その後は、どんどんとラジコンの技術が進歩して、ヘリコプターも操縦出来る時代になりました。
 今日、フト思い出して、インターネットで『Uコン』を検索してみたところ、沢山見つかりました。
個人オークションのみならず、多くの模型店の広告も表示されていました。でも、少なくとも、都会では出来ませんよね。小学校のグラウンド位の広さが有れば出来ますが、でも、街中で模型エンジンの音を立てていると、きっと苦情が来ますよね。
 私も、室内だけ、それも自宅内だけですが、電動式のヘリコプターを操縦していた事は有ります。でも、最近のローターが2枚付いた、お子様でも飛ばせられるのとは違いますよ。
1枚ローターの、ラジコンも本格的にプロポーシャナルコントロール式を使って、静かに室内を飛ばせていました。機体の長さが60cm位でしたか、子供さんのおもちゃには、チョット危険なヘリコプターでした。今、私は、本当はラジコンで良いから、トレーラー車の運転をしてみたいのです。
でも、ハンドル調整も細かく操作できるプロポでなければ面白くないし、かと言って、本格的なトレーラー車は、本体が大きくて2m以上も有りますので、室内で走らせるのはちょっと不可能に近いので、諦めています。全長30cm位でプロポ式のが有ったら、飛び付くのですけど・・・。

0 件のコメント :

コメントを投稿