2013年9月8日日曜日

朝礼の発表、メモを見るだけではなく、全体を・・・

岡山大学教育学部付属中学校の専用門付近・正門は別です
中学校2年生の運動会終了後から体育委員長を務めました。毎月開催のクラス対抗戦の組み合わせ発表、又、終了後はその結果発表で、毎週月曜日の始業前に開かれる朝礼の場での発表も少しずつ慣れ、大きな声で全体に聞こる様に声を出す事も可能になって来ました。
 最近であれば、全校集会等は体育館内で実施されていると思いますが、私達の時代には体育館も無く、いつも中庭で実施されていました。従って、雨の日には朝礼は中止、緊急連絡事項が有れば、校内放送を通じて実施していました。屋外での全校集会ですが、その姿は、まるで現代の運動会、開会式を思い浮かべて頂ければ、想像が付くと思います。1年生を中央にして、左右に2年生と3年生、各クラス男女別に縦に一列になって、正面には1メートル少々の高さの演台が置いて有りました。全校で約750名の生徒ですから、縦の1列が約30人位ですので、結構広い場所でした。しかし当時はマイク等の設備は有りません。発表は演壇の上で、声を張り上げての発表でした。私はいつも、発表内容を間違えない様、メモを手にしての発表でした。しかし、先生方は余程の事がない限り、メモも無く、顔で周囲を伺いながらの発言をなさっていました。
 そこで私も、メモ書きばかりを見るのでは無く、前にも顔を向けて、全体の様子を見ながらの発表をしよう…と、大きな夢を抱いたのです。3年生の6月頃でしたか、クラス対抗戦の結果発表。手には得点のメモ書きを持って、いつも通りに朝礼台に上がりました。いつもでしたら、顔はずっとメモ書きを見ているのですが、その日は違いました。メモを見て、優勝は1年生はA組、得点は〇〇点、と発表して、そこで一度顔を挙げて全体を見回した後に、2年生はD組・・・と、メモの内容を記憶しては前を向いて、顔を上げて発表したのです。無事、トチル事も無く、無事に発表を終えました。自分では凄く満足した気分でした。顔を上げて、みんなの顔を見ながらの発表が狙いでしたから、ホント、満足感に浸っていたのです。
 朝礼が終わって教室に戻ったところで、同じバレーボール部の女性が私に話しかけて来ました。
「今朝の朝礼で、裕子の方ばっかり見てたなあ、・・・ みんな言うとったよ・・・」と。私はキョトンとしました。別に、特定の方を眺めていたのではないのですが、生徒の側からは、普段とは違うスタイルに、何か特定の事を結び付けて考えた様でした。名前を上げられた裕子さんとは、1年生の同じくバレーボール部員の方です。ま、仲は良かったですよ。バレーボールの練習後は、自宅が同じ方向でしたので、学校を出る時は、ほとんど一緒でした。でも、当時の中学生は、現代とは違って、特別のお付き合いなど有り得ないのですけど、周囲の方は、そんな事を考えていたのか・・・と、驚いた事もありました。
 しかし、毎月3~4回は朝礼で発表していましたので、今から考えるとその経験は大きなものが有りました。人前での行動、発声等、何も恐れなくなった事です。高校3年の時でしたか、8ミリ映画の試写会に東京まで行った時、突然、司会者から紹介され、挨拶を求められましたが、無事完了しました。何の準備もしてなかった時に舞台に招かれたのには驚きましたよ。ヤレヤレでした。でも、ホント、良い経験を重ねました。

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