未だ暑い時でした。いつもの様に、放課後のグランドでハンドボールの練習をしていた時、投げたボールがすぐ近くの附属小学校のプールの中に入ってしまったのです。プールの入り口は、勿論鍵が掛けられ、入る事が出来ません。しかし、飛び込んだボールを放置する事も出来ません。どうしようかな・・・と、考えましたが、プールの周囲のフェンスは、その気になれば簡単に越えられるものでしたので、そのフェンスを越えて中にボールを取りに入ったのです。ボールはプールの中、水の上に浮かんで、僅かな波に揺られていました。体操着のスタイルでしたが、そのまま水の中に入って、ボールまで歩いて行った時、友人達もフェンスを越えて、プールサイドに入って来ていました。「水の中は気持ちええんじゃろう・・・」と、更に2~3人が水の中に入って来て、ついつい、プールの中で、まるで水遊びの様になってしまったのです。
暫くした時に、フェンスの外に小学校の先生の姿が有りました。お互いに顔は良く知っていた先生でしたが、「もう、その位にして、上がれヨ・・・」とのお優しいお言葉を頂き、みんな濡れた体操服姿で、プールから再びフェンスを越えてグランドに戻ったのでした。その当時、小学校にはプールが有りましたが、中学校には未だ設置されていなかったのです。無断でプールに入りましたが、でも、大事にならず、ホッとしたものでした。
小学校の時、5年生と6年生は毎年夏休みの初めに、臨海学校が行われていました。行き先は瀬戸内海の本島でした。岡山から行ける海水浴場は、玉野のすぐ西側の渋川海水浴場。ここは陸路でバスで行けますが、それ以外は南備海運の乗合船で出掛けていました。一般には、出崎、豊島等の海水浴場でしたが、それよりも少し遠い島、本島でした。ホテル等は存在しません。完全な民宿でした。それも、最近の民宿とは違います。空き家を改造したのでしょうか、数軒の家に分かれて、各家全体の数部屋が明け渡されて、の宿泊でした。食事は、全員が別々には準備する方も大変だからでしょうか、お寺の大広間に全員が集まっての食事でした。岡山市の京橋の船着き場から本島の海岸まで、1時間半くらいだったでしょうか、1階の船室と、2階の甲板、2階は布製の日よけが有るだけで、椅子等は有りません。船の進行方向によっては、日差しが横から差し込む事もあります。日差しを受けて、暑くて堪らず船の反対側に人が寄ると、船が傾いてしまい、船員の方々が慌てて、「船が傾いています、両側に分かれて乗って下さい・・・」と、走り回っていたのを記憶しています。
島に到着すると、そこで、班別に分かれて別々の空き家に入りました。3泊か4泊だったと思いますが、海には勝手には入れませんが、フリータイムは自由行動です。夜にはお化け屋敷も設営され、最後の夜は、海岸で花火大会も開催されました。朝は、早くから起きて日の出を仰いだり、普段、学校等では味わえない雰囲気の生活でした。布団の上げ下げ、部屋の掃除も全てを自分たちでやりますので、ホント、良い経験でした。
臨海学校の期間中に、ほとんどの生徒達も泳ぎをマスターして、最後の日の午前中は場所を決めての水泳大会も行われました。でも、プールとは違いますので、タッチの差・・・ナンテのは有りませんけど・・・。
島からの帰途、船の中は静かなものでした。みんな疲れ切って、ほとんどがスヤスヤとお昼寝。陽が当たっていても、反対側に移動するどころか、みんな、熟睡でした。船は児島湾から旭川に入り、上流に
上る事約30分、京橋の船着き場に着く頃には、起き出した全員が、賑やかに、迎えの家族に手を振ったり・・・。
あれもこれも、思い出せば、ホント楽しい毎日でした。あの頃は・・・。
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