2013年9月5日木曜日

審判は判定結果を 手振りでハッキリと・・・

中学校入学後、友人の誘いもあってバレーボール部に入りました。兄達の大反対を押し切っての運動部入部でした。兄達は、スポーツにはそれ程興味が無かったのか、文化系のみで、体育系の部活動は家族の中では私が初めてでした。当時のバレーボールは現在とは違って、全て9人制、又、コートも体育館の中では有りません。屋外の土の上のコートでした。1セットの得点も21点先取でセットが決まり、1試合は3セットのゲームでした。サービスは2本制で、2本失敗すると相手の得点となっていました。
 校内のクラス対抗のゲームでは、当然バレーボール部員が審判を務めました。ラインズマンとか副審は一切無し。主審一人での審判です。私の場合、ホイッスルを吹くのも、弱いホイッスルを吹くのは嫌でしたので、力一杯にホイッスルを吹いていました。当時、学校で使用していたホイッスルは、写真左側の、現在も警官が使用している様な、ピリピリッと言う様な鳴り方のホイッスルでした。右側のピーというホイッスルは、小学校の女性の先生が使用していただけで、他は全てピリピリッのホイッスルでした。
 バレーボールの主審を務めると、ホイッスルとなった判定の原因を示す事が必要です。ドリブル、ホールディング、オーバーネット、アウト、セーフ・・・、等々、ホイッスルを吹くと同時に、その判定結果を両手で示した後に、得点側の手を挙げていたのです。グランドは土ですから、アタックとかサービスで微妙な判定が必要な場合には、ポールの定位置を離れて、ボールの落ちた場所を目で確認して、それを指さして選手達に説明した事もありました。
 1学年5クラスでしたから、リーグ戦で4試合、男女別ですので8試合、3学年で合計24試合を行っていました。コートは男女それぞれ2面有りましたので、バレーボール部員が交代で審判を努めて、コートの周りは応援のクラスメートで一杯になっていました。ところが、私が審判を努めている試合は、余りにも取り巻く応援(?)が多かったのです。後日、他の女子バレーボール部員から聞いた話ですが、私のレフリーの判定結果を知らせる動作が大きく、両手でやっていましたので、何か、踊っているみたい・・・とかで、評判になっていたそうです。でも、判定結果のその理由を明示してくれない審判では、見ていても面白くないですよね。最近見たテレビですが、女子バレーの国際大会で、全然ゼスチャーで表示しない女性のレフリーもいましたが、えっ、今の得点は何? と、いったシーンが、かなり多くみられました。
 ところで、1日に2試合程度ずつレフリーを努めると、その後は大変でした。学校に居る間などには気付きませんが、夜、入浴などの際、耳に中はキーンと、耳鳴りが激しく続いていたのです。
ああ、今日も耳鳴りが酷いなあ・・・で、辛抱していましたが、それが積み重なって、成長してきた現在、一年中、私の耳には秋の虫が鳴き続けています。私にはその様に聞こえるのです。つまり、耳鳴りが酷く、キーンと鳴り続けているのですが、まるで秋の虫達が鳴き続けている様な感覚です。最近、一番困るのは、電子式体温計、最近の体温計は計測が終わるとピーッと、音を出しますよね。あの音が聞き取れないのです。決して聴力が悪い訳ではないのですが、800Hz当たりの音が少し弱い様です。高校生の頃に耳鼻科にも行きましたが、どこでも治療方法は指導して頂けませんでした。今現在も、周囲は静かな夜ですが、耳の中では秋の虫達が、ミーンと泣き続けています。耳鳴りは残ってしまいましたが、しかし、今、その当時の事を思い出すと、ああ、あの頃は楽しかったなー・・・と、思い出しているところです。
 放課後に私を探す場合には、グランドに出れば必ずどこかに居る・・・というのが、後から聞いた先生方のお話しでした。

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