2013年9月15日日曜日

秋の全校合同大運動会で、大失敗!!

(岐阜聖徳学園大学附属小学校のHPから拝借掲載)
10月に入って最初の日曜日、岡山大学教育学部付属幼稚園・小学校・中学校の合同運動会が開催されました。生徒数だけで、幼稚園が約100名、小学校約800名、中学校約800名、合計約1,700名。そこに、応援のご父兄方がおみえになりますので、全体では約2,000名から3,000名の大集会となります。中央のグランドは一周200メートルのトラックですが、その周囲は人、人、人で一杯の状況になります。
最初は、北側の入場門からは幼稚園と小学校生徒、南側の入場門からは中学校の生徒達が、音楽に合わせての入場行進。全員が足を揃えて、まるで国体の開会式と同様の入場行進です。来賓、幼・小・中の校長の挨拶、中学校の生徒会長の選手宣誓・・・と、開会式が進められ、引き続いて全校でのラジオ体操第一が始まるのです。そこで、体育委員長の私が壇上に上がって指導演技が開始されます。音楽に従って、体操の演技をするだけですので、特に問題は有りませんが、指先を軽く握っている時、その指先を延ばす時、又、踵の上げ下げも、基本に忠実なスタイルでの演技を心掛けました。これは、体操を基本通りに実行するだけですから、特に問題は無く無事終了。
 全体の人数が多い為、出場回数も自然と限られますが、中学校のメインの競技はスウェーデンリレーでした。学年ごと、クラス別対抗戦です。男子の場合には、第1走者が100メートル、第2走者が200メートル、第3走者が300メートル、第4走者は400メートルを走るリレーです。(女子は各半分)
 運動会の司会は、幼稚園、小学校、中学校でそれぞれ交替し、中学校の司会は私達の担任の体育教師が担当していました。普通のアナウンスでは有りません。陸上競技の場内放送は、独特の抑揚を付けて話すのです。語尾だけを下げる案内の仕方、その案内の抑揚の付け方を真似ていましたので、まるで陸上競技場の様な雰囲気になっていました。
 2年生までは別に何の問題も無く進み、いよいよ、私達3年生のレースとなりました。私は当然アンカーの400メートル。普段は400メートルなんて走る事もありませんので、まあ、無理をしないで走れば良いわ・・・と、考えていたのです。いよいよスタートしました。ところが私のクラスの走者はどんどんと遅れ、私がバトンを受け継いだ時には、先頭とは7~80メートルの差がありました。400メートルの全力疾走は出来ませんので、200メートルトラックの1周目は、はやる気持ちを抑えて押さえて、やっと1周を終えた時に、それ行けっと、ピッチを上げての走行をしたのです。どんどんと第一位の選手に追い付きそうな私の走行を見て、場内アナウンスが流されていました。『只今第2位を走っていますのは体育委員長のかわさき君で有ります・・・』と、陸上競技のアナウンサーの音声に合わせての放送が流れていました。第2位として、前方に目標が見えていましたので、比較的気持ちの上では楽に、走り続けていたのです。7~80メートル離れていたものが、200メートルを過ぎてから急にスピードアップして、どんどんと追いかけて、応援の方々も夢中になって声が上がっていました。残り40メートル付近では、遂に追い付き、これから抜きに掛かろう・・・とした、その時でした。
それ迄先頭をのんびり走っていた選手が私が追い付いた事に気付き、慌てて逃げ出したのです。
逃げる側の選手は、それまで、のんびり走っていただけに、体力は充分残っていたみたいで、即、全力走行を始めたのです。私は、追い付く・・・と、思ったところで急に逃げられて、ガクンと力が抜けて、残りの2~30メートルを走るのが精一杯で、結果としては、抜き去る事は出来ませんでした。
ゴールに入るなりグランド上に倒れ込んでしまいました。
 超満員の観衆の前で演じた私の恥ずかしい走り、追い付く寸前までは行きながら、逃げ出した姿を見て、ガクッとショックを受け、あとが続かなかった事は、今でも、悔しいだけで、取り返しの付かない大失敗でした。後から何度考えても、あの時、ガクッときた私が納得できないでいます。最初から追い抜くのが無理と考えていたら、ここまでの悔いは残らないのですが、あと一歩まで行きながら、そこで力尽きた私が、どうしても納得できない、悔しい思い出です。この悔しさは、何度思い出しても、もう一度、このレースを走り直したい、そんな思いです。一位の選手に逃げられて、逆転が出来なかっただけで有れば、何とも思わないでしょう。逃げられて、それを見て、ガクッとそれまでの力が抜けてしまった事が、自分自身どうしても納得できないのです。余りに情けない自分が、納得できなくて・・・。でも、それからは、その様な経験をしない様、全てに心がけてはいますが・・・。

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