小学生の頃は、岡山市上伊福に有った岡山県庁の敷地内に住んでいました。父の勤務先、岡山県庁の職員用住宅が、県庁の敷地内に有ったのです。現在、岡山県庁は旭川の相生橋の近くに新築移転、元の上伊福には岡山工業高校が設置されています。上伊福に有った県庁は、元は繊維関係の工場だったのかもしれませんが、紡績会社特有の屋根が斜めになった建物を、立て替える事も無く、工場みたいな建物をそのまま使用していました。少し奥にはグランドもあり、私達子供は、その広いグランドで自転車の稽古をしたり、ソフトボールをしたり、遊び場所に不自由はしませんでした。日が暮れるとそこで堂々と大型の打ち上げ花火等も楽しみました。4ヵ所か5ヵ所に大きな防火水槽が有り、その中には川魚がいましたので、時には釣竿を持って、フナ釣りを楽しんだりもしました。その当時の防火水槽は、まるでプールみたいに大きなもので、蓋は有りませんでしたので、ホント、釣り堀の様でした。プールよりも随分深く、時には子供が落ちて、大騒ぎになる事もありましたが、生命までは大丈夫でした。県庁の勤務時間後は、そのグランドで、職員の野球大会等もあり、私達も夢中になって応援したものでした。その当時から、職員の方々とも顔馴染みになり、一緒に遊ぶ事もありました。県庁の中には、売店、書籍販売店もあり、子供の月刊誌は予約して購入していましたので、発売日の午後、学校から帰ると一番に県庁の父親の机まで、本を受け取りに行くと、父親がニコニコしながら、本を手渡してくれたものです。又、時には庁内の本屋さんに直接出掛けて、希望の本を見つけて店員さんに渡せば、そのまま持ち帰る事も可能でした。支払いは、父親の給料から・・・。
県庁の職員の旅行に連れて行って貰った事もありました。季節は調度秋、その頃は山に入ればマツタケが沢山育っていました。最近では、山に入っても、1本見付けるのに苦労する様ですが、その当時はマツタケは豊富でした。津山の手前、誕生寺という駅で汽車を降りて、近くの山まで歩いて行きました。当時は、現代みたいにすぐ団体バスで・・・と、いう様な事は有りません。2~30人の団体でしたが、それぞれ籠を持って山に入り、落ち葉の陰から頭を覗かせているマツタケを収穫、結構沢山有りました。山を降りると、農家の庭先に数個のコンロを設置、庭先での焼きマッタケ、すき焼きを開始、皆さんは日本酒を呑みながら・・・。コンロの周囲に茣蓙、蓆を敷いて、現代でしたら、まずビールから始まるかも知れませんが、その当時は、現在ほどビールは見た事が有りませんでした。確かその日は、子供は私だけだったと思いますが、みなさん、普段からの顔馴染みでしたので、お互いに遠慮も無く、楽しい旅行でした。現代では、松茸狩りは採れても採れなくても、一人数万円とかの入山料が必要ですが、その当時は県庁の職員旅行で行く位ですから、入山料、食事代は安かったのだと思います。でもその時もおみやげまでは無かったですね。現地で採り放題、食べ放題だけでした。
帰りは、再び国鉄の汽車に乗って岡山まで。蒸気機関車ですから、平地を走っている時は、窓も開けていられますが、トンネルの時は、すぐ窓を閉めなくてはなりません。トンネルに入る手前で、機関車が2~3度汽笛を鳴らしてくれますが、それを合図に、何よりも早く窓を閉めたものです。開けた窓から顔を外に出していた時、目の中に石炭の燃えカスが入って、暫く痛くて痛くて、困った事も有りました。今度のリニアモーターカーは、その大部分がトンネルの中だそうですが、でも、ススの心配は無いから、ま、安心ですね。
県庁の職員の旅行に連れて行って貰った事もありました。季節は調度秋、その頃は山に入ればマツタケが沢山育っていました。最近では、山に入っても、1本見付けるのに苦労する様ですが、その当時はマツタケは豊富でした。津山の手前、誕生寺という駅で汽車を降りて、近くの山まで歩いて行きました。当時は、現代みたいにすぐ団体バスで・・・と、いう様な事は有りません。2~30人の団体でしたが、それぞれ籠を持って山に入り、落ち葉の陰から頭を覗かせているマツタケを収穫、結構沢山有りました。山を降りると、農家の庭先に数個のコンロを設置、庭先での焼きマッタケ、すき焼きを開始、皆さんは日本酒を呑みながら・・・。コンロの周囲に茣蓙、蓆を敷いて、現代でしたら、まずビールから始まるかも知れませんが、その当時は、現在ほどビールは見た事が有りませんでした。確かその日は、子供は私だけだったと思いますが、みなさん、普段からの顔馴染みでしたので、お互いに遠慮も無く、楽しい旅行でした。現代では、松茸狩りは採れても採れなくても、一人数万円とかの入山料が必要ですが、その当時は県庁の職員旅行で行く位ですから、入山料、食事代は安かったのだと思います。でもその時もおみやげまでは無かったですね。現地で採り放題、食べ放題だけでした。
帰りは、再び国鉄の汽車に乗って岡山まで。蒸気機関車ですから、平地を走っている時は、窓も開けていられますが、トンネルの時は、すぐ窓を閉めなくてはなりません。トンネルに入る手前で、機関車が2~3度汽笛を鳴らしてくれますが、それを合図に、何よりも早く窓を閉めたものです。開けた窓から顔を外に出していた時、目の中に石炭の燃えカスが入って、暫く痛くて痛くて、困った事も有りました。今度のリニアモーターカーは、その大部分がトンネルの中だそうですが、でも、ススの心配は無いから、ま、安心ですね。