2014年3月4日火曜日

救急患者は全て受け入れる事! 受け入れてから転送すれば良い!

平成14年12月24日に大腿骨董壊死症から大腿骨、骨盤の関節を人工に手術、それまでの職場は、3月31日付で定年退職。病院でのリハビリ療法も3月31日でもって完了。しかし、一般生活には未だ支障が有った為、市民プールに自転車で通って、水中歩行訓練を実行。手術から約1年後、12月には健常者とほぼ同一の行動が可能になりました。その時の年齢は60歳。未だもう少しは仕事をしたいな・・・と考えていた時、新聞広告で会計事務所の求人が目に止まりました。会計事務所は大阪ですが、勤務は私の地元の街の病院との事。早速応募して面接に伺いました。応募の方はかなり多いみたいで、応接室で暫く待機。私は予定時刻の5分前に入りましたが、前の方の面接終了まで、かなり待機させられました。面接は会計事務所の所長と、派遣先の病院の経理ご担当者のお二人。しかし、病院の方は発言は一切無し、全て会計士の方からの質問に素直に応答して、面接は特に何も無く終了。面接後、帰宅後すぐに電話連絡があり、月曜日から勤務を開始する様に・・・との事。自宅からは車で10分位。月曜日の朝は、毎週午前9時から職員の朝礼、病院の中の一室、大きさは学校の教室の2倍くらいの広さ、片隅に会議用テーブルが積み上げられていました。その当時の理事長の司会で進行する中、私も新任としてご挨拶。
これまで、病院とのお付き合いは、患者としてお世話になっただけで、その内側は全く何も知りませんでした。公的な病院は、又違うのでしょうが、この病院は理事長が設立したそうですが、病床は約220と伺いました。一応の規模は大きいかの如くに見えますが、中は完全に個人病院。実は、昭和55年頃でしたか、近所の内科医院からの紹介で、私の長女が入院した事が有りました。小学校の3~4年生の頃です。ある日、昼間です、見舞いに行きました。すると、病室には娘の姿も、ベッドも無く、娘の姿が有りません。近くの看護師の方に伺うと、ナント、驚きました。廊下の端、隅っこに置かれたベビーベッド、その中に娘が身体を小さくして休んでいました。新しい患者を迎える為の部屋移動、何方かが、退院のご予定だったのでしょう。その退院まで、空きベッドが無いので、娘はベビーベッドに寝かされて、廊下の隅っこ。娘は、病気で入院していたのですよ。
病院も外から見たのでは、内部の事は解りませんが、兎に角、この病院は設立者の声が全ての病院でした。一般の会社でも、ここまで酷いのは、見た事が有りません。医療系となると、師弟関係が一般の企業とは、又異なるのかもしれませんが・・・。朝の朝礼でのお言葉・・・『救急の連絡が有った場合は、一切断るな!! 必ず受ける事。受けて診察した後、他の病院に転送したら良い!!』
どこが採点をしているのかは知りませんが、救急を受け付けると、ポイントが+1、転送した場合の減点は無し。そこで、救急は全て受け入れて、ポイントを獲得。手に負えなかったら、転送したら良いと、当時の理事長、朝礼での発言です。その場では、誰も異議の発言は無し。驚きました。救急患者を何と心得ているのでしょうか。この件以降、身内には勿論、機会ある毎に、この病院にはお世話にはならない方が・・・と、お口添えしています。病院の全てがこんなだとは言いませんが、出来れば公の病院の方が信頼できるのかも知れません。今では、この病院の理事長は息子さんに替わっています。その後、改革がされているのかもしれませんが・・・??

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