2013年12月28日土曜日

突然の転勤  岡山。 エッ!! 大分に変更??

昭和62年1月に新居に転宅。それまでの住いのすぐ近く。最寄り駅までの距離も、従来とほとんど同じ距離でしたので、従来と同様に、駅まで歩いて電車で大阪市内への通勤でした。
今迄と同様に土曜日曜はアルバイトのブライダルビデオの撮影。撮影を終えて自宅の庭に車を入れると、車の後ろから機材をそっくり室内に移動、、2リットルの樽入生ビールをサーバーから注ぎながら、当日撮影したテープを確認。この点検で、撮影のミス等を発見する事は一度も有りませんでした。もし万一、撮影の不具合等が有れば、撮影の段階で気付きますので・・・。ブライダルビデオのアルバイト収入は、本業の会社勤めよりも、多額の報酬を頂いていましたので、毎月何度かは、家族揃って近くのお寿司屋さん、『すしよし』さんで過ごしたものです。夜遅くまで、お店の常連さんともお友達になって、すしよしさんから、カラオケボックスへ直行した事も有りました。
 7月の初め頃でした。会社で経理部長から応接室に招かれ、聞いた話が転勤。各都道府県単位に、子会社としてタイヤの販売会社が設置されていましたが、その中の、岡山販売へ出向して欲しい・・・との事。岡山でしたら、私の出身地ですし、当時は両親も健在でしたので、親元から通勤できる…と、即刻承知したのです。その当時、岡山販売には、経理部で私と同僚の方が赴任していましたが、その方から聞いた話では、岡山販売の朝礼で、8月からこの方がみえます・・・と、私の事を紹介したとか。それから1週間後でしたか、再び経理部長に呼ばれて応接室へ。驚きました。転勤先を岡山では無く、大分販売へ・・・との依頼。チョット待って下さい・・・と、即答は出来ませんでした。しかし、家族と相談して、翌日、了承の返答をしたのです。今迄、通勤圏内の転勤は5回経験していましたが、転居を伴う転勤は初めてでした。自宅を新築、転宅を終えた所での転勤には、驚きました。
取りあえずは引き継ぎで、博多の九州支店経由で大分に1週間の予定で向かう事になりました。グループ会社の旅行取扱社に相談したところ、福岡へ行くのだったら是非飛行機で・・・と、それまで、国内では東は栃木県日光まで、西は広島までしか行った事が無かったのです。ホント、初めての飛行機でした。福岡空港までは九州支店の同僚が迎えに来てくれて、迷わず九州支店に到着。九州支店からは支店長の社用車で大分へ向かいました。本当に初めての九州。高速で、日田まで。それから大分までは一般道。未だ高速は有りませんでした。長い道のりでしたが、湯布院から別府に向かうやまなみ道路、その美しさには驚きました。高原を登って行くその道路から見る眺めの素晴らしいのには驚きの声を挙げたものでした。
 大分販売での引き継ぎは1週間、宿は『大分パークインホテル』。会社はホテルから歩いても5分位でした。大分に行って、一番驚いたのは、大分の言葉です。何か言えば、帰ってくる言葉は『よだきい・・・』。この言葉が理解出来る迄には、かなりの期間が必要でした。転勤は8月からでしたが、その後の住いを探した結果、会社の近く、大分プールの上、4階の1室を契約しました。国道10号線沿いのビル、向かいには『ラッキー』でしたか、スーパーも有りましたので、何かと便利かと考えたのです。事実、このスーパー、夜の12時まで営業していましたので、助かりました。遅くに会社を出ても、買い物が出来たので、ホント、お世話になりました。レジの方々も、顔を覚えて下さって、毎晩『お疲れ様・・・』と、声を掛けて下さったものでした。
 大阪で、新築したばかりの自宅、どうしようかと悩みましたが、他人が住んだ家に再度帰って来るのも嫌だ・・・と、手放す事に決めました。翌年の3月には、家族も大分に移れる様に、大分で新築を考えたのです。大分市内でなかなか適当な場所が見付からなかったのですが、何軒目かの不動産屋さんで、泉町を紹介され、そこに決定しました。1級建築士の方に依頼した自宅の設計図、これでは親子4人の生活が出来ない、と、その図面は拒否。私が自分で図面を引いたのです。それを1級建築士の方に見せると、これは良いわ・・・、だって。やはり、都会の考えと、大分の考え方は違っていました。46坪の土地でしたが、設計して頂いたのは、部屋数が少ない、広々とした農家風の造りでした。私は、1階は16畳のLDKと、6畳の和室、2階は6畳の3室と、私のアマチュア無線用の小部屋、4畳。表は広い駐車場と庭を設けて・・・。私の図面は部屋割だけでしたので、設計図はその方にお願いしましたけど・・・。
この新居の上棟は翌年の1月10日と決定。新築が終えるまで、毎週、その光景を撮影して、自宅、大阪の家族にはビデオレターを何度も何度も送ったものでした。

2013年12月24日火曜日

住宅の新築 上棟 !!  でも・・・

1986/11/10 上棟の日
枚方市の府営住宅から、現在の中古住宅に転居して約9年、今から27年前の事でした。これまでの自宅から直線距離で約300メートル。前日までの雨も上がって、晴天の朝を迎え、愈々、上棟の日を迎えました。朝からビデオカメラとポータブルデッキ、この時はカメラはSonyのDXC-M3A、デッキはビクター BR-5500でした。新しく販売された住宅地でしたが、周囲には既に建築されたお宅も有りましたが隣は現在建築進行中でした。玄関前から撮影を始めましたが、4メートルの道路の為、車の通行もあり、三脚を立て続ける事は出来ません。添付の写真は表側ですが、この位置からは最初だけ、その後は反対側、裏側は未だ更地でしたので、上棟までの全てをビデオで記録しました。この年には、長男は高校2年、長女は中学校1年でしたので、子供たちの部屋も設けた設計にし、又、私のブライダルビデオに便利な様に、ガレージの後にアルミサッシの出入り口を設け、車から機材を簡単に出し入れが出来る様にもしました。ブライダルビデオの三段式のキャリアーを、車から簡単に室内の板張りの場所に移動、デッキからモニターまで、接続が簡単に出来る様に、壁の中にVA用のケーブル、5C2Vを特に設置もしました。今迄の中古住宅は、風呂桶が小さく、足が充分に伸ばせなかったので、今度は特に指定して、浴槽は長い物にして頂きました。ダイニングとリビングは板張りですが、2階のそれぞれの部屋は、全て畳敷きとして、落ち着ける雰囲気にしました。私の趣味は、この当時可成り夢中になってアマチュア無線をやっていましたので、そのアンテナケーブルも室内への引き込み用に、別途太い塩ビのパイプの設置も忘れずにやって頂きました。
 11月10日の上棟から、完成まで約50日、年末ギリギリに、やっと入居可能になり、新年は、新居で迎える事が出来ました。しかし、それまでの自宅から近かったので、特に引越し屋さんの手は借りず、私の車、この当時はタウンエースワゴンでしたが、そのシートを畳んで、引っ越しは少しずつ、自分たちですべてやりました。でも、この当時は、ハモンドの電子オルガンもあり、それは旧家の二階に置いていましたので、その運搬だけ、二階から下ろす時は、大工さん、電気屋さん方、皆さんのお力添えを頂きました。一度に全てを運搬していなかっただけに、困った事も有りました。大晦日の夜遅く、テレビでは紅白歌合戦の真っ最中でしたが、フト、あっ、あれは未だ向こうに置いてたのかな?・・・と、夜の道を旧宅まで取りに行った事も有りました。
 正月が明けて、急いで取りかかったのが、アマチュア無線のアンテナ、屋根上への設置でした。この当時は、HFと50MHz、144MHz、430MHzをやっていましたので、かなりの本数でしたが、電気屋さんにもお手伝いを頂いて、屋根上にアンテナマストを設置、ローテーターの取付も無事完了しました。
 JR、阪急の駅から歩いて12~3分、中学校の学区も同じでしたので、長女の転校も無し。毎日の通勤は駅まで歩いて、大阪まで電車通勤。新しい自宅で、快適な生活を喜んでの毎日でした。しかし、この新しい家での生活、私自身は、約半年だけでした。会社の指示で、初めての通勤圏外への転勤、ナント、遠い所、今迄一度も行った事も無い九州、大分市でした。7月後半には、引き継ぎの為に、出発・・・。当面は、私だけの転身赴任でした。この続きは、次回に送ります・・・・。

2013年12月21日土曜日

韓国式の結婚式、初めての経験でした

( 当日の写真ではありません )
ブライダルビデオの撮影もすっかりマスターして、毎週土日は、京都グランドホテル(現リーガロイヤルホテル京都)に通っていた頃でした。今週は、別の会場の結婚式を・・・との依頼を受けたのです。会場は、京都グランドホテルのすぐ東、全く初めての中華料理店『東天紅』でした。初めての会場に出掛ける時は、前以て、その下見をしていましたが、この時はその時間が取れなかった為、ぶっつけ本番になってしまいました。ビルの中、確か三階だったと思いますが、結婚式場は神前式。素晴らしい作りの会場でした。雅楽の演奏も、多くの会場ではテープか何かで流す所が多いのですが、ここは完全な生演奏でした。笙、ひちりき、りゅうてき等、3人の方々の演奏でした。初めて聞く生演奏で、新郎新婦の衣装は、韓国式の正装でした。何もかもが初めてでしたが、式の進行その物は、日本式と何等変りなく撮影は順調に完了しました。
 次の披露宴、会場に入って、テーブル、椅子の配列がいつもとは全然違う事に、まずビックリ。司会の方は、韓国系の方でしたが、私達との打ち合わせは、日本語でして下さいました。日本式の披露宴会場と違って、ご両親、ご家族の席が一番前の席。それからお友達…等となり、一番後ろは、何方が入って来るか分からない・・・、兎に角、沢山の方がお越しになるとの事。各方面のお知り合いの方々がみえるそうでした。
披露宴が始まりました。皆さん、着席なさって、新郎新婦の入場。しかし、正面の席に付かれる前に、お席の前に整列して、そこでご出席の方々に、新郎新婦の紹介と、ご両親を紹介するのです。司会者の方は、すべて韓国語での進行です。私は、何を仰ってるのかは、全く理解出来ません。でも、開始前に司会者の方と打ち合わせをしていましたので、どうにかカバーは出来ました。横一列に並ばれた方々を、パンニングしている間、司会者の方は、暫く時間を取って下さいました。全員の撮影を終えた時、私は司会者に向かって、左手を上げて合図、それから、新郎新婦は正面の席にお付きになりました。披露宴の順序は、ホント、韓国式で進行されましたが、打ち合わせ通りにスムーズに撮影は進んでいました。会場の中央付近が、比較的広いスペースが有り、そこに太い柱も有りましたので、柱に沿った部分に三脚を構えて撮影していたのですが、挨拶等が終わった時に、数人の方々が、横長のタイコ等、いろいろの楽器を持ち出して、いきなり演奏が始まったのです。その人数は次から次と増えて、グルグルと円を描きながらの踊りと演奏だったのですが、私はいつの間にか、その踊りの円の中心に位置する様になっていたのです。私は韓国式の宴会等は、全くの初めてでしたので、カメラマンが真ん中に居る事に、非常に違和感を覚えました。しかし、カメラマンですから、その位置から、皆さんのお姿、お顔を撮影した段階で、テープをストップ、踊りの円の外に移動させて頂きました。司会の方は、私宛てに時たま日本語でも仰って頂きましたので、どうにか無事、撮影は完了しました。披露宴の前に、詳細な式次第等を司会者の方と打ち合わせをしていましたので、ホント、助かりました。日本式で無い結婚式、披露宴は、この時、一度だけでしたが、良い経験をさせて頂きました。

2013年12月14日土曜日

ビックリしました、友人代表挨拶の途中、突然・・・

 リーガロイヤルホテル京都 ( 元 京都グランドホテル)
 京都駅のすぐ西に有る大きなホテル、現在の名称はリーガロイヤルホテル京都、当時の名前は京都グランドホテルでした。2階全体が数多くの部屋に仕切られており、何組もの披露宴が同時に進行する事も可能でした。ここのホテルでは、結婚式場は数代の固定カメラがセットされていて、それを専属の方がコントロールして撮影するシステムでしたので、私達、アルバイトのブライダルカメラマンは、披露宴の撮影だけが担当業務でした。いつも通りに、披露宴会場にご出席の方々を新郎新婦とそれぞれのご両親、仲人の方が招き入れて、いよいよ披露宴がスタートしました。会場内のライトが消され、ドアが開けられると、そこにはスポットライトに照らされた新郎新婦。皆さんの拍手、祝福のお声掛けに迎えられて、新郎新婦のお席まで・・・。仲人の方から新郎新婦のご紹介、主賓の方々、お二人からのお祝いのお言葉を頂き、続いてケーキカット。撮影は順調に進行していました。次に友人代表からお祝いのお言葉。カメラは宴会場の中程の位置から、三脚にカメラを乗せて、祝辞の方々を撮影していたのです。友人代表の方も、調度ズームアップをして、胸から上、お顔を中心に撮影を続けていました。しかし、そのご挨拶の途中で、前後に身体が揺れ始めたのです。私は当然ながら、カメラのディスプレイを覗いて、お顔がセンターから外れない様に、カメラを左右に少しずつ回転させて撮影をしていました。しかし、移動が急に激しくなって、モニターで追い切れなくなったので、やむを得ずズームバック、その方の顔を逃さない様に撮影していたのですが、顔が床にまでいってしまったのです。カメラのディスプレイから目を離して、直接、その状態を目に確認した時、慌てて、カメラのボタンを押して、撮影を中断しました。ナント、祝辞を仰っていた方が、床に倒れていらっしゃったのです。少し前から、お顔は、何度か前後に動いていましたが、演技では無くて、緊張の為でしょうか、軽い貧血を起こされたみたいでした。、どこかの記者会見等の撮影中に、その方が倒れた場合等でしたら、ずっと撮影を続けるのかもしれませんが、披露宴での祝辞の途中ですので、これは撮影するべきでは無い・・・と、撮影は中断しました。しかし、その時もカメラはズームバックした状態で、その全体が写る向きのままでした。20代半ばの方でしたが、緊張の為でしょう。皆さんがすぐに寄って手を差し伸べて、お席に戻って、その後は大丈夫のご様子でした。
 当日の撮影を終えて、次の日に、ビデオの会社に納品に行きました。しかし、今回の撮影は、途中で発言者が転倒、カメラをストップさせていましたので、その件を報告。テープを再生して、その転倒シーンを見て頂き、ここの部分は、編集の手直しが必要です・・・と。会社の方もその場面をご覧になってビックリなさっていましたが、私の業務としては、それで完了です。本番のテープと、抑えのテープ、その2本を提出する事で、後の編集は会社側にお任せです。何も問題が無い場合には、カット撮影したテープだけを提出して、その場でテープの再生点検等はしないのですが、手直しが必要な場合には、その個所を説明しておく事が義務付けられています。
普段から撮影会場には2台のテープデッキをセットしていて、1台はカメラのスタート、ストップに連動して撮影する物、それと、もう1台は修正時等に使用出来るように、スタート、ストップに連動しないで、連続撮影をするテープの両方の撮影テープを残しているのです。もし万一、言葉が途切れた場合等には、抑えのノンストップのテープからであれば、修復が可能です。もし、カメラマンの操作の失敗等からの手直しの場合には、ペナルティが課せられ、撮影料から控除されますが、止むを得ない場合には、ペナルティの対象では有りません。
 しかし、中には酷いカメラマンも居ました。未だキャリアは浅い方でしたが、その方のお話しを伺っていて、私も驚いた事が有ります。披露宴の撮影をしていたところ、テープが終わって、ビデオがストップしたそうです。ま、普通でしたら、そこで予備のテープを出して、その後を撮影して、会社に依頼して、1本のテープに編集加工依頼をすれば済む事です。ところが、そのカメラマンは予備のテープを持参していなかったそうです。テープが終わってしまって、後の撮影が出来なかったら、そこで撮影を終えておけば、未だ良い訳が出来ます。ところが、そのカメラマンは、事もあろうに、とんでもない事を実行したそうです。ナント、撮影済みのテープを巻き戻して、そのテープを初めから使用して、最後まで、撮影を継続したそうです。ホント、これでもプロのカメラマン??と、ビックリしました。同じテープに、書き直しをすれば、元の記録は消去されてしまいます。ホント、ビックリしましたが、この様な方もいらっしゃったのです。披露宴の記録を依頼された会社として、どの様な言い訳をなさって、或いは、どの様な賠償に応じたのかは知りませんが、会社も、ホントお手上げだったと思います。
 私は、大きな失敗も無く撮影は継続していましたが、本業の会社から、大分にある子会社への出向を命じられましたので、止むなく、アルバイトは中止しました。大分でも、その様なアルバイトが有れば・・・と、何軒かのホテル等を尋ねましたが、地方の為か、マダマダ本格的な撮影依頼は無いとかでしたので、諦めました。当時のカメラ、大型デッキ、編集コントローラ、ハロゲンランプ、カメラケーブル等は、大切に保管しています。

2013年12月10日火曜日

山の斜面に建てられた料亭、エレベーターは無し。1階から6階・・

( 三脚は1段、膝をついての撮影でした )
ブライダルビデオのカメラマンとして、数年経過した頃。京都駅のすぐ西側の大きなホテル、今では名前が変りましたが、その当時は京都グランドホテル。ここの2階の宴会場が、私が担当するメインの会場となっていました。自宅からも車で約1時間、調度手頃な距離でも有りました。ところがある時、枚方公園の近く、山の斜面に有る大きな料亭で開かれる結婚式の撮影を受けたのです。初めての会場でしたので、その前日に下見をさせて頂きました。小山の斜面に建てられていて、玄関は最上階。玄関のフロアから1階降りた所に大きな畳の宴会場。椅子席では有りません。座イスのセットされた完全な和室でした。窓には暗幕がセットされていて、披露宴の始めは暗幕を閉めているとの事。一回目のお色直しの際に、カーテンを開けて、外の景色も見て頂く・・・との事。当時のビデオカメラは真空管式でしたので、感度が低い為、ライトの照明を欠いては、満足な撮影は出来ません。そこに、外からの自然光が入った場合、実にカメラマン泣かせの光線です。室内のライトは3200度K(ケルビン)、外光は5500度Kか5600度Kですので、カメラの調整をしないでは、室内光は赤っぽく、外光が入ると青っぽくなってしまいます。撮影する被写体によって、カメラ側の撮影する色温度を調整しなくては、綺麗には残せません。しかし、仕事を受けた以上、プロとしてこなさなくては駄目です。
次に、結婚式場を見せて頂きました。これ又、驚きでした。山の斜面を利用して5階から6階建の方式になっていましたが、結婚式場は、その最も下の階に有ったのです。山の斜面に沿って建てられていますので、エレベーターの設備は有りません。これには、正直参りました。ビデオ機材、当時はビクターのBR-8600とBR-7700、どちらも据え置き型の大型ビデオです。カメラも大型、 それに三脚、5インチのモニター、大型三脚、30メートルのカメラケーブル。普段は、これらを三段式のキャリアカーで運搬して移動をしていたのです。これらの接続ケーブルを外して、バラバラの状態にして、手に提げて階段を上り下りするしか方法は有りません。当日は、いつも通り、予定の2時間前に到着、一番下の結婚式場まで階段を下りて、撮影はスタンバイ。無事、結婚式は完了しました。ご出席の皆さん、それぞれ上階の披露宴会場に向かわれました。私も階上に向かうべく、機材のケーブルを外しにかかっていたところ、ご出席の方が、それをご覧になって、この機材を上に運ぶんですか?・・・。助かりました。ホントに助かりました。ご出席の数人の若い方々が、三段のキャリアーに乗せたままで、階段を一緒に登って下さったのです。もし、この援助が無かった場合、私一人で、6~7回、階段を上り下りしなくてはならなかったのです。それも、2階や3階では有りません。6階です。これは本当に助かりました。カメラマンの手当てを半分位は差し上げても良い位の思いでした。
 和室での披露宴も初めての経験でした。三脚にカメラはセットしていますが、三脚の足は全然伸ばさないで、最下段での撮影。私は膝をついての撮影でした。膝をついての大きなパンニングには一苦労しました。足を伸ばして立っている時は、そーっと回転移動しながらのパンニングが可能ですが、膝を付いている場合には、パン棒に身体が付いて行きません。大きなパンニングには、身体はそのままで、カメラのモニターだけを見ながらのカメラの回転でカバーしました。新郎新婦がお色直しで退場すると、仲居さんが周囲のカーテンを全開。ワーッと、晴天の外景に大きな歓声。山の斜面に建っている料亭ですから、窓の外は大阪平野を一望、すぐ手前には淀川が大きく流れていました。ご出席の皆さまは、その景色に感激なさっていましたが、私は大慌てです。それ迄は、カメラ側のハロゲンランプだけでの撮影でしたので、カメラも3200度Kに調整していました。そのままでは、外光で真っ青になりますので、それからは、撮影する内容によって、カメラ側の色温度を調整する必要が有ります。最近の液晶式のカメラでしたら、ライトは不要なのですが・・・。しかし、その温度調節は、開始前に予測出来ましたので、カメラには、ライトと外光の二つの光源の色温度に設定してありましたので、どうにか、満足に撮影する事が出来ました。人間の目は、外光に対して自然と、色温度を組み替えてくれますが、当時のビデオカメラ、それも業務用機には手動で調整をするしか方法が無いので、大変な労作でした。でも、無事乗り越える事が出来て、撮影完了の電話連絡を、会社宛に無事終える事が出来ました。結婚式場からの階段で、お力添えを頂いた皆さん、遅ればせながら、ありがとうございました。

2013年12月5日木曜日

ビデオカメラマン、講習会  ケーブルの処理


(  8の字巻きのケーブルの巻き方 ) 
大阪市の地下鉄の中、掲示してあるポスターに目がとまりました。『ブライダルビデオカメラマン募集!!』。これまでに、8ミリ映画は一応マスターしていました。ビデオも、家庭用としては発売されたばかりでしたが、ハンディタイプで、カメラとビデオは2メートル程のケーブルで繋がっていたSonyのポータプルタイプのβビデオ。このビデオで家庭内の記録も実施していました。しかしビデオのプロとしての仕事は未だ、全く経験は有りません。何となく興味を抱いて、その説明会に参加してみました。大阪北浜のビル、大きな会場を使用しての説明会でした。会場は参加の方々で一杯の状態。正面には大型のビデオもセットされて、まず、ブライダルビデオの作品を映写開始。結婚式場、大型ホテルの外観がフェードイン。次いで会館内、控室の行燈、〇〇家・〇〇家控室、フェードアウト、フェードインされたタイトルには「〇〇家・〇〇家 ご結婚披露宴」ここでフェードアウト。結婚行進曲が流れると同時に左右に大きく開かれたドアから新郎新婦の入場。披露宴にご出席の方々から、それぞれ祝福を受けながら正面の新郎新婦の席に・・・。新郎新婦、ご媒酌人ご夫婦、深く一礼の後に着席。媒酌人の挨拶が開始されたところで、テープはストップ・・・。
 まず、ビデオ撮影のシステムから説明が有りました。業務の流れは、結婚式の会場、ホテル等がご利用者からビデオ撮影の受注。ホテル等から、この会社、NST〇〇〇へ注文が入り、その撮影業務を、各カメラマンに連絡、各カメラマンが撮影した物を、受注の逆ルートでホテル等を通じてお客様の手許に届ける事。撮影の機材等は、全てカメラマンの所有物を使用する事。手数料の配分は、ホテル等が売上金額の20パーセントを引いた物をNST〇〇〇に支払い、そこから20パーセントをNST〇〇〇を控除した残り、つまり、ご利用者への売上金額の64パーセントが、カメラマンの手数料として頂く事が出来るとか。仮に売上金額が8万円とすると、カメラマンには51200円の収入。毎週月曜日から、その週の受注開始…。
 一週間後の土曜日から、ビデオカメラマン応募者に対しての研修会がスタートしました。担当のカメラマンは、結婚式の当日、会場に2時間前までに到着、カメラ、デッキ等、全ての機材をセット、電源スイッチを入れた状態にして、その時点でビデオの会社宛にスタンバイ完了の電話連絡。電話連絡が無い場合には、代わりのカメラマンをすぐ向かわせる・・・との説明。
 当時のビデオカメラは、未だビデオが組み込まれた物は有りませんでした。カメラとビデオデッキは、直径2~3cmの太いケーブルで接続されています。広い会場内を、前後左右に移動しながら撮影する為に、そのケーブルも、短くとも20メートル、私は30メートルのケーブルを使用していました。その長いケーブル、カメラマン一人だけで、そのケーブルを扱わなくては撮影に支障が有ります。丸めておいてあるケーブルを、引っ張りだすと、ケーブルは、クルクルと円弧を描くようになってしまいます。それでは、皆さんの邪魔にもなってしまいます。そこで、ケーブルを置く時に、8の字型に整理して置いておく方法を教えて頂きました。これだと、三脚に付けたカメラだけを持って、スーッと移動しても、ケーブルは真っ直ぐになってくれます。ケーブルを8の字にするスペースがなければ、一つの円形に巻きますが、その場合には一回りずつ、左右を逆にしておくのです。( この巻き方は、文章では表現し難いので、必要でしたら、次のHPをご覧下さい。写真入りでで説明してありますのでご紹介します。尚このHPは、私とは関係有りません。 http://blog.hibino.co.jp/?eid=83 )
最近では、ビデオのアルバイトはやっていませんが、例えば自宅内で長いコードのテーブルタップを使用する時等、又、そのケーブルを保存する時等にも、この巻き方で保存しています。これだと、ケーブルを引っ張るだけで、ねじれが無く、スルスルッと引き出しが可能なのです。
披露宴には必ず司会の方がいらっしゃいますので、その式次第等については、可能な限り前もってその順番を。主賓の方が、勤務先の方か、或いは親族代表か・・・等で、カメラの捉え方も変わってしまいます。主賓の方をメインに撮影はしますが、その次のシーンの撮り方等が異なりますので・・・。又、ケーキカットの撮影には誰よりも早く、一番に移動して三脚をセット。しかし、その場所も、一般の方々が必ず写真撮影に来られますので、真っ正面のメインの位置は皆さんの為に開けておいて、そのお二人のお姿を漏れなく撮影できる場所。披露宴開始前に必ず実際に確認して、主賓の挨拶が終わると、その場所に直行。これも、慣れてしまえば何でも無いのですが、慣れるまでは大変でした。ビデオカメラマンは、メインで活躍しても、ご出席の方々の邪魔になっては駄目なのです。邪魔にならない場所で、漏れ無く撮影する事が必要なのです。実際の披露宴で、サブカメラマンとして約1カ月練習を重ねて、その結果、撮影したテープを見て頂いて、メインカメラマンに登録して頂く事が出来ました。アマチュアでしたら、撮影の途中でも、まずい・・・と思ったら、テープを回したままでも平気で。カメラを三脚に乗せたまま、少し横に移動させたりしますが、プロでは絶対に許されない事なのです。移動する必要が生じたら、タイミングをみてテープを止めて。次の最適な場所に移動。プロは、それでお金を頂くのですから、失敗は許されないのです。ホント、良い勉強をさせて頂きました。