2013年7月28日日曜日

Uコンの模型飛行機、昔の練兵場でした

(アンサイクロペディア フリー百科事典零細のイラスト)
今から何年前になりますか、私が小学生の頃、岡山市にも小さな飛行場が有りました。確か原尾島の練兵場・・・と、記憶しているのですが、今、地図で見ると、原尾島とは全く場所が違っています。地図の上で、私の記憶では、現在の津島の辺りです。今は陸上競技場を始めプール、ラグビー場等のスポーツ施設になっていますが、私の幼い頃は、草の生えた広い空き地でした。その真ん中辺りに、アスファルトでは無かったですね。小さな小石を敷いて踏み固めた様な1本の飛行場が有りました。滑走路らしきものは東西方向に延びた1本だけでした。時たま、そこにセスナクラスの単発機が着陸する事が有りましたが、飛行機が降りると、私達、近所の子供達は喜んでその姿を求めて集まったものでした。でも、一度だけですが、子供たちが集まって飛行機を遠巻きに集まると、乗っていらっしゃった方が、拳銃を手にして降りて来られた事が有りました。終戦後10年も経つか経たないかの頃でしたから、外国の方が、飛行機の不調か何かで降りて来られたのかもしれません。そこに、周囲を現地の子供たちに取り囲まれで、ビックリなさったのでは無いかと思います。勿論、子供達は、それ以上には近付きませんでしたので、拳銃の発砲は一度も有りませんでした。その内に警察の方ですか、車が近付いて、暫くすると再びセスナは飛び立って行きましたが・・・。
 その広ーい原っぱ、練兵場の跡地といえば、当時のマニア、エンジンの付いた模型飛行機を飛ばすには、持って来いの広場でした。その当時、ラジコンの飛行機等は未だ有りませんでした。イラストに有ります通り、飛行機には、細いワイヤーケーブルが2本、主翼の付近を経由して、水平尾翼のフラップっていうのですかね、飛行機の上下だけをコントロール出来るようになっていました。操縦する人は中央に立って、20mか30m位のワイヤーに付いた飛行機を飛ばしたのです。飛行機が真っ直ぐに飛んだのでは、操縦する人は飛行機に付いて、一緒に走らなければなりません。それは無理ですから、操縦する人は一か所に立って、その円周を飛ばすのです。従って操縦する人は、飛行機の回転に合わせてぐるぐると回転しながらの操縦でした。慣れた方々は、飛行機の飛ぶその円周状に、竹先に風船を付けてみたりして、上手く割る事ができるか・・・とか、していました。いまから考えれば、単純な遊びかもしれませんが、私達子供にとっては、珍しくもあり、又、羨ましくも思った物でした。飛行機は、操縦者を中心にグルグル回るだけですが、上手い人は宙返りをさせてみたりもしていました。当時の子供達に出来るのは、せいぜいゴム動力の紙飛行機ぐらいでしたから、見てるだけでも楽しかった思い出があります。しかし、そのUコンの飛行機も、昭和35~36年頃に見たのが最後でした。もう、その後は、どんどんとラジコンの技術が進歩して、ヘリコプターも操縦出来る時代になりました。
 今日、フト思い出して、インターネットで『Uコン』を検索してみたところ、沢山見つかりました。
個人オークションのみならず、多くの模型店の広告も表示されていました。でも、少なくとも、都会では出来ませんよね。小学校のグラウンド位の広さが有れば出来ますが、でも、街中で模型エンジンの音を立てていると、きっと苦情が来ますよね。
 私も、室内だけ、それも自宅内だけですが、電動式のヘリコプターを操縦していた事は有ります。でも、最近のローターが2枚付いた、お子様でも飛ばせられるのとは違いますよ。
1枚ローターの、ラジコンも本格的にプロポーシャナルコントロール式を使って、静かに室内を飛ばせていました。機体の長さが60cm位でしたか、子供さんのおもちゃには、チョット危険なヘリコプターでした。今、私は、本当はラジコンで良いから、トレーラー車の運転をしてみたいのです。
でも、ハンドル調整も細かく操作できるプロポでなければ面白くないし、かと言って、本格的なトレーラー車は、本体が大きくて2m以上も有りますので、室内で走らせるのはちょっと不可能に近いので、諦めています。全長30cm位でプロポ式のが有ったら、飛び付くのですけど・・・。

2013年7月20日土曜日

日曜・祝祭日は右折禁止!   しかし、取締・指導は一切ナシ

この交差点、大阪府高槻市、枚方大橋北詰交差点です。この写真は南向きに撮影していますが、前方に見えるのが枚方大橋です。この写真からも判りますが、枚方大橋を北向き、高槻市に向かって走って来た車両の為に、右折専用のレーンも設置されています。3列停車しています。 平日は、信号も青、黄・右折の矢印、黄、赤と、右折専用の矢印の表示される信号です。しかし、日曜・祝祭日にはこの交差点、右折用のレーンも有りますが、右折は禁止されています。(確か、早朝・深夜は右折OKです)    交差点の標識も固定式の物ではなく、切り替え式の表示で直進か左折のみのマークに変更表示されています。しかし、この交差点、右折禁止の曜日、時間帯であっても、堂々と右折をする車が続いているのです。枚方大橋側の右折レーンには、『日祝 ✕』との道路標示は有りますが、そんなのはお構い無しです。私も日曜日にこの交差点を走った時に、赤信号を待っていた右折禁止車両が飛び出して来て、ビックリした事も有りました。その時です、私は運転中でしたが、枚方大橋を南進中に携帯電話で警察に緊急電話、110番に連絡したのです。110番の通信指令室の担当者は、何故、この交差点が日曜・祝祭日に右折禁止になるのか全く知らない状態でしたが、『すぐ向かわせます!!』と、最もなご返事を頂きました。枚方市で用事を終えて、電話から約30分後に枚方大橋を高槻側に渡りました。その時、この交差点の東側、右折禁止の車両が曲がる先の堤防上にバイクで来た警官の姿、1人だけでしたが姿が有りました。ドライバーの皆さん、良く分かっていらっしゃる様で、右折する車は全然有りません。当然ながら、橋の上からは、右折するその先、堤防上ですから、警官の姿は良く見えるのです。
 その時、私は一端交差点を通り過ごして、その先の道を左に折れて、Uターンして、もう一度、枚方大橋北詰交差点を北から来て、左折してみました。最初に警察官を見た時から15分も経過はしていません。しかし、その時には既に警官の姿、乗って来ていたバイクの姿も有りませんでした。110番通報を受けて、指令によって交差点には来たものの、違反車両が1台も無い事から、早々と撤退なさった様でした。この『110番通報』は、1度や2度では有りません。しかし、結果はいつも同じです。
 ある時、高槻保健所の南側の団地内で、白バイを止めて、書類を記入している警察官に訪ねた事が有りました。祝祭日、右折禁止の枚方大橋北詰交差点、北行きの右折禁止は指導も検挙も、何故しないのですか?と。すると、白バイの警官曰く 「警察も忙しくて、手が回らないのですよ・・・」
検挙も指導もしないのでしたら、あの交差点、右折禁止を除外したらどうですか?  日曜・祭日の右折禁止の目的は何ですか? と尋ねると、「あ、それは私には判りません・・・」。
取締りが、如何になされていないのかは、右折禁止の日に、交差点の真ん中辺りまで入って右折しようとしている車両、その横を白バイが平然と通過するのですから、如何に違反を放置しているか良く分かると思います。
 違反の状況を自分で撮影してYouTubeに投稿しようと考えましたが、自宅から少し遠過ぎるのと、暑い日が続いているので、未だ撮影できていません。それよりも、報道関係に連絡すれば、取り上げて撮影して頂けると考え、毎日放送テレビの『VOICE』の『憤懣本舗』に取材して欲しい・・・と、今年の6月4日夕方にメールを入れましたが、未だ、全然返信も何も有りません。
 この暑い夏を過ぎて、毎日がもう少し涼しくなったら、仕方無いので自分で撮影に出掛けます。今年の様な、これ程迄の異常気象で無ければ、又、もう少し私が元気であれば、すぐにも行けるのですけど・・・。暫くお待ち下さい。この秋には必ず撮影します。又、もしこのブログをお読みになった方で、有志の方がいらっしゃいましたら、どうぞ、一日も早く撮影、アップロードして下さって結構です。
 

2013年7月16日火曜日

服用する薬にご注意、薬が原因で障害者に!!

先日修理した電気ケトル、その後は何のトラブルも無く、元気に稼働してくれています。機械は不具合な部品等を交換すれば、すっかり新品同様に復元できます。
 しかし、人間の身体は、一度不調になると元通りには戻せないのです。先日ここでお話ししました、私の大腿骨董壊死の件です。MRIで、大腿骨の先端のボール部分が壊死状態と解りました。大阪医大で手術を受ける前に、それまでの経過を、整形外科医に詳しくお話ししました。何十年も同じ整形外科医院に通っていて、そこの先生の指示通りに薬を服用していた事。その薬を、手術担当の先生にお見せしたところ、その薬の中から、原因は、この薬!!と、一つの薬を示されました。ステロイドでした。私が長年通っていた整形外科医院では、最近でも全て院内処方を実施しています。院内処方ですから、薬についての説明は、先生から伺うだけです。最近の様に院外処方でしたら、処方されたそれぞれの薬の効能と共に、注意点等も文章で示されています。しかし、院内処方でしたので、包装を解いて、1回分ずつにパッキングされた状態で受領していましたので、私は馬鹿正直にその薬を何十年も服用していたのです。手術担当の整形外科の先生は、もし必要でしたら、私が証言しても良いですよ、と迄、仰って下さいました。この薬が大腿骨董壊死の原因に間違い無い!と、断言して下さいました。しかし、私が長年お世話になっていた整形外科医院の先生は、私の身内の紹介で行った医院でしたので、いえ、私には裁判沙汰は、チョット出来ません。ありがとうございます。と、手術担当の先生にお礼を言いました。
 ステロイド系の薬は数多く有りますので、ステロイド系の薬が全て駄目、では有りません。たまたま、私には駄目だったのです。
 平成14年12月24日に手術を受けて、今年で11年経ちました。今日、一年振りにその定期健診を受けました。レントゲン写真を前に、先生に尋ねました。手術の時は、電動のこぎりで大腿骨を切断したのですか?  大腿骨に打ち込む時は、ハンマーで叩いて打ち込んだのですか?
そうや、ハンマーの音は廊下までも響いとったと思うよ・・・。私は思わず呟きました。全身麻酔で良かった・・・と。
 薬の事を書いたので、もう1件、やはり私の経験ですが、鎮痛解熱剤として『ロキソニン』という薬が有ります。これも医院からの処方で、私はいつも鎮痛解熱剤として使用していました。これは、毎日の服用では有りませんでしたが、腰が痛い時等は何の抵抗も無く、毎日服用もしていました。実に良く効く薬です。体温が38℃以上あっても、服用後30分もすれば平熱に治まるのです。しかし、この薬が原因で、腎臓を痛めました。早くそれに気付けば良かったのですが、腎臓の生体検査を実施、IGA腎症で免疫抑制剤等で治療を続けましたが、好転は無く、現在では週3回の血液透析のお世話になっております。
 私の場合だけかもしれませんが、ステロイド系の薬、ロキソニンでは、取り返しの付かない状態に陥っております。健康な皆さんは、いろいろの先生から処方された薬を服用する前に、ご自分に適合しているかどうか、良く、先生に確認して服用なさって下さい。私は薬剤師でも無いし、まして医師でも有りません。自分が服用して失敗したお話ですので、何か、必要な時には、何かの参考になさって下さい。私は大腿骨董壊死で障害者4級、腎不全の血液透析で障害者1級になりました。
 最近は、価格の安いジェネリック医薬品が出回っていますが、新聞報道によれば、充分な検査もしないままで発売されているジェネリック医薬品があると聞きました。今までは、全てジェネリックで通していましたが、今後は、主治医にお願いして、ジェネリック品は拒否する事にしました。

2013年7月13日土曜日

クロネコのメール便、4日目にやっと届きました

7月9日に電気ケトルの修理についてブログに記録しました。温度ヒューズをインターネットで探して、すぐその日に発注。翌日10日、購入先から発送しました…と、メールが入りました。私が購入したのは、埼玉県草加市のお店からの購入です。小さな部品ですが、2個で500円。慌てて探しましたので、最初に見付けたお店に即発注しました。運賃はメール便で80円、合計580円でしたので、飛び付いてのオーダーでした。
 でも、その後、色々と検索したところ、同一の部品が284円で販売されているのも発見しました。あっ、えらい損したな…と、思いましたが、送料は宅急便で360円とか。送料を考慮すれば、埼玉県のお店も決して高くはありません。ヤレヤレでした。ところが、発送は郵便局の郵便ではなくて、クロネコヤマトのメール便。郵便物でしたら、埼玉県からでしたら、翌日には届きます。しかし、送料は同じ80円でも、クロネコヤマトのメール便は届きませんでした。発送日の10日には確かに埼玉県で受付しました…との表示はありましたが、その後は宅配便と違って、荷物がどこまで届いているのか、全然追跡表示は出来ません。今日は来るか、今日は来るか・・・と、首を長くして待ちました。10日の発送日を入れて4日目、13日の朝、やっと大阪で受け付けたとのネットでの表示、本日配達予定・・・との事で、朝から待ちました。しかし、届いたのは午後4時前でした。小さな封筒に入っていましたので、郵便局でも定型の郵便、送料は全く同じですが、届く迄の日数は少なくとも2日は違いました。これからの発注時には、指定できる場合には、宅配便のメール扱いよりも、郵便でお願いしようと考えた次第です。
 さて、温度ヒューズが届きましたので、早速修理に掛かりました。修理は簡単でした。今まで付いていた、断線した温度ヒューズは圧着端子で止められていましたので、同じく圧着端子で接続、修理はそれだけです。後はバラバラにしたパーツ類を組み立てるだけ。プラスのドライバーだけで、最初から30分も掛かりませんでした。早速、内部を水洗いしてから水を注ぎ、スイッチを入れると、いつものランプがグリップの上部に点灯。しかし、これだけでは未だ目は離せません。5分位ですか、沸騰する音がしばらく聞こえた後に、パチンと、聞き慣れたスイッチの切れる音、お湯が沸いた音です。それで、電源が切れましたので、これで、OKです。2,000円もしない電気ケトルですが、合計380円で修理は完了しました。もし、次回又切れた場合には、温度ヒューズが予備としてもう1本有りますので、大丈夫…。到着までに日数が掛かったのが応えましたが、でも、これで無事一件落着・・・、となった次第です。ヤレヤレでした。

2013年7月9日火曜日

電気ケトル が 断線??

毎日毎日、35℃、36℃、37℃と、信じられない様な梅雨明け後の日本。例年では、エアコンは使用しても、午後2時以降から夕方まで・・・程度でした。しかし、今年の夏は夜の気温でさえ25℃以上、夜明けの5時頃の気温でさえも26度とか。電気料金の値上げが実行されている現在、消費電力を極力制限したいにも拘らず、毎日毎日、朝のテレビでも、熱中症には充分ご注意下さい。今日も、暫くは耐えて来ましたが、しかし、午前11時に31℃を超えた時、遂に耐え切れずにエアコンのスイッチを入れた次第です。昨日の夕方位から、気温の為かどうかは解りませんが、少し頭痛が出ていたので、用心の為もスイッチオン。電気代は掛かるでしょうが、これも生き延びる為には止むを得ないかな…と。
 昼食に備えてお湯を沸かそうと、テーブルの電気ケトルにスイッチを入れました。超小型のケトルですので一度に0.8リットルしか入りません。そこで、湧いたお湯を急須に注ぎ、もう一度、電気ケトルを水で一杯にして、再度スイッチオン。暫くすると、未だスイッチを入れて1分も経たないのに、自動的にスイッチが切れたのです。エッ? 何? と、スイッチをもう一度入れ直しましたが、スイッチは入れられるのですが、電源ランプは点灯しません。アレッ? 故障かな?・・・。
テスターを出して来て、点検の開始です。ポットをセットする台座には間違い無く100Vの電気は届いていました。従って、故障は、上部、電気ケトルの本体内と断定出来ました。念の為、ケトルの底、100Vの電源を接続する部分、その両端子間の抵抗を測ったところ、テスターの表示は「1」の表示です。テスターの表示、抵抗値を計測して「1」の表示の場合には、その端子間は電気が流れていない、つまり、断線している・・・と、いう事です。
 2,000円もしない電気ケトルですが、購入したのは昨年の11月、毎日、毎日、良く働いてくれました。ここで廃棄したのでは、余りにも申し訳ないので、原因調査を開始しました。道具はプラスのドライバーとマイナスのドライバー。プラスのドライバーはビスか、木ネジを回す為、マイナスのドライバーは、本体がプラスティック製の為、いろいろの個所でパチンと、かみ合わせで止めている部分が多いと思ったからです。ヒーター本体の断線の場合には、修理は不能ですから、その場合には買い替えも考えますが、スイッチ付近の故障でしたら、修理は可能・・・と、考えての作業開始でした。まず、最初は、外から見えるビス、木ネジの取り外し。底面に3本のビス。取り外しましたが、分解できる兆候は一切無し。ケトルの蓋を開いて、その蝶番部分、どうもプラスティックの突起で止まっているだけ。マイナスドライバーを慎重に当てて、蓋の取り外し。蓋を取り外すとグリップの一番上に木ネジが2本見えました。それを外して、それからは、マイナスドライバーの出番です。グリップの外カバーがスパッと外れました。それと同時に、底部分の周囲のカバーが外れ、中の部品はすっかりその姿を現したのです。後はテスターを要所、要所に当てて、何処が悪いのか部品のチェック。ヒーターの通電はOK。本体のヒーターは切断では有りませんでした。
 スイッチの通電、ON, OFFは可能か・・・?  これもOK。残る部品は1個、絶縁カバーに包まれたコンデンサーの様な形の部品、これが全然通電無し。断線の原因はこの部品と判明しました。しかし、ヒーターと直列に、コンデンサー等が入る事は、雑音防止でも有るまいし、考えられません。部品の周囲を見ると、169℃の表示が有り、これは温度ヒューズと判明しました。そこで、温度ヒューズの価格を通販で調べたところ、2本入りで500円。早速、通販で発注しました。ここからわざわざ日本橋まで電車地下鉄で出掛けると、往復960円掛かります。部品は、本当は1本有ればよいのですが、販売元も1本の郵送では、割が合わないのでしょうから、仕方ありません。部品到着まで、3~4日は掛かるでしょう。それ迄は、バラバラにしたケトルは、そのままの状態で留めネジだけは、それそれの位置に軽く止めて、組み立てはしないで袋に入れて保存しておきます。
部品が届いた時に、断線した温度ヒューズを、新しい温度ヒューズに取替えて、半田付けすれば、修理は完了します。ヤレヤレ、これで新しいケトルを買わなくても済みました。

2013年7月6日土曜日

MRI検査の結果 "治療方法は、手術しか無い!!"

私が初めての就職、未だ若かったです。23才の時、最初に与えられた仕事は、手書きの設計図を清書する仕事、トレーシングでした。手書きの設計図を下に置いて、その上に幅約1メートルのトレーシングペーパー。トレーシングペーパーの裏はツルツル、何も書けませんが、表はザラザラになっている樹脂製の用紙です。そこに、烏口、丸ペン等を使用しての清書です。最近ではコンビューターによるCADも有りますので、もしかすると、このトレースという業務は、もう存在しないのかもしれませんが、この当時は、国産のコンピューターなどは未だ発売されていない時代でしたので、図面の清書は手書きしか方法は有りませんでした。ボードを斜めにセットして、身体に無理な姿勢をしなくても良い様になっていますが、当時、その様な台は有りません。普通の事務用机を並べた上に、原稿とトレーシングペーパーを置いての写し書きでした。最初に取り組んだのは大阪府の伊丹空港付近から堺市まで走らせる予定の中央環状道路の図面でした。畑、建造物、斜面の記号、寸法の数字等、手書きの物、全ての青書でした。毎日毎日、前かがみになっての作業、時々、腰を延ばしてはポンポンと腰を叩いたり、腰を後ろに曲げたり・・・、腰の受ける負担は非常に大きいと感じてはいました。しかし、1か月を経た頃に、余りにも腰が痛いので、整形外科を受診したところ、「腰椎変形腰痛症」との事でした。早速、コルセットを作って頂き、その場は切り抜けました。それからの人生は、腰痛との戦いでした。症状の治まっている時は何も影響は無いのですが、毎年、2回から3回、ギックリ腰で、その都度コルセットを着用して凌いできました。大阪、中の島の整形外科医院に何十年もお世話になっていました。いつも院内処方で、帰宅する時には薬を沢山頂きましたが、それらは真面目に指示通りに服用を続けていたのです。腰の痛みのひどい時、月に1回程度は、腰椎に麻酔薬を打って頂いて楽になっていたのです。
 平成1410月でした。いつも通りに麻酔を打って頂いて、ベッドで約1時間休息、医院を出て会社に戻ろうと歩きだして約100メートル、そこで突然、今迄感じた事の無い足、腰の痛みで歩く事が困難になりました。医院に引き返そうにも、ビルの中、エレベーターに乗る事にも抵抗が有ったので、通りすがりのタクシーを止めて、兎に角、会社まで辿り着きました。会社内でも暫く休んで、どうにか帰宅しました。その帰宅時、どの様にして帰宅したのか、いま思い出そうとしても、全然記憶が有りません。兎に角、足、腰の痛みで、自力での歩行が出来ないのです。暫くは会社を休んで、治療に専念したかったのですが、都合の悪い事に、もうすぐ税務署の立ち入り調査が有るという事が、税務署から連絡が入っていたので、総務部長として、私が休むという事は絶対に不可能でした。翌日、会社への出勤は、歩行用に1本杖を購入はしたものの、僅かな歩行がやっとでしたので、電車通勤は諦めて、マイカーで出勤しました。当時はオートマでは無くて、ミッション形式のワゴン車に乗っていましたが、運転に影響は何も有りませんでした。しかし、痛みは日毎に増して来て、最後には、松葉杖での歩行を余儀なくされました。
 無事、税務署の調査を完了した翌日、会社の近くの大きな病院を訪ねました。整形外科の診察室に入ると、松葉杖姿の私を見て、先生は 「そんなに酷くなったのを、この俺に直せと言うのか??!!!」と、大声を出されました。午後から早速MRI検査、その結果を伺いに診察室に入ると 「えーかっ! 診断結果、病名を言うぞ!・・・  大腿骨董壊死 !! 手術しか治らん!」
簡単に治療できる物と考えて、会社の近くの病院に行ったのですが、入院手術となれば、自宅の近くが必要と話すと、高槻の大阪医科大学に行くよう勧められ、翌日は、その病院に行っての診察。患者が多く手術の予定は中々取れませんでしたが、1224日と決まりました。大腿骨の先端、ボール状になっている部分が壊死の状態なので、それを切断、セラミック製の人工骨を大腿骨に接続、治療が遅れた事から、骨盤側の関節も傷んでいるとの事で、骨盤側も樹脂の関節に取り替え。5時間の予定が7時間の大手術でした。全身麻酔でしたから、私は何も知りませんが、電動ノコギリ、ハンマー等を使った、大変な手術だったろうと思います。3ヵ日からは車椅子。1ヵ月で退院、松葉杖での電車通勤。勿論、リハビリも通いました。4月からは、自転車で市民プールに通って、水中歩行の自主トレーニング。その年の12月からは、職場に復帰しました。手術直後は脱臼を心配しましたが、それも無く、歩行も普通通り、このレントゲン写真以外では、人工関節とは誰も解りません。手術から11年経過しましたが、歩行等、行動に問題は全然ありません。
 本当は、この大腿骨董壊死の原因、その事について書きたかったのですが、余りにも永くなったので、次回、原因となった薬について詳しく書きたいと思います。

2013年7月2日火曜日

突然、一部のch、テレビが受信不能に!!

昨日、月曜日の昼過ぎの事ですが、テレビの7chと8chが受信出来なくなりました。衛星放送は何等問題無し。地上デジタルの一部が受信不能です。我が家の場合、BSパラボラとUHFアンテナを合流の上、1階と2階に分岐して、各部屋に配線しています。又、パソコンのチューナーにも接続していますが、パソコンのチューナーは、全チャンネルが受信不能となっていました。テレビのチューナーはパソコンのチューナーと比較しますと、非常に弱い電波でも受信できるようになっているので、今回のトラブルは受信電波の強度ダウンだと推察できました。すぐにテレビアンテナケーブルの状態の点検を実施。BS放送は問題が無いので、UHFのケーブル、接続等を点検しましたが、どこも問題無し。ところが、いろいろチェックしている時に、ホンの極く一時ですが、パラパラと、正常に受信できる時が有った事から、兎に角、接続部分を何度も何度も点検しました。しかしそれ以上の進行は無く、半分諦めて、夕食を終えました。
 地上デジタル放送のチャンネルは、あくまでテレビ受信機の受信番号の事で、実際の送信周波数は、地方によって様々です。ここ近畿地方、大阪では送信周波数は13chから18chの間、NHKの総合だけが少し周波数の高い24chで放送されています。テレビの7chと8chが受信出来ないのは実際には17chと18chの放送でした。
 一度は本日の作業はここまで・・・と、諦めたけど、それからもあれやこれやと頭をめぐり、とても寝付けません。そこで、もう一度、道具を出して再度点検。手許に電界強度計があれば、簡単なのですが、その様な物はアマチュア無線の関係以外では持っていませんので、一つ一つの点検するしか方法が有りません。接続に問題を見付けられなかったので、次に分配によるゲインロスをカバーする為にブースターをも入れているのですが、それを外して、ダイレクトに接続してみました。すると、今迄の受信不能が嘘みたいに、ピタッと受信できるようになりました。このブースター(写真)は、UHFの信号は何もしないで通過(実際には-3dB)、BS放送はゲインをアップする筈なのですが、原因は解りませんが、何かの影響(故障だと思いますが)で、UHF波が大幅にロスしていたと思われます。一時は、1階に下ろすケーブルの断線かと思い、4C-FBのケーブルを、途中で切断してのテストも行いましたが、問題が把握出来たので、今度はそのケーブルをもう一度接続しなくてはなりません。4C用のコネクターは何個も所持していましたが、F型中継接栓が手許には有りませんでした。アンテナケーブルを切断したままでは放置出来ませんので、道具箱をいろいろ探して、兎に角、同軸ケーブルを接続できるパーツ、壁面埋め込み型の接栓等を利用して、どうにか接続、雨等の影響の無い様、ビニールテープを巻いて、急場しのぎは一応完了しました。
 受信側のテレビは何も問題はありませんが、パソコンの受信機は、受信出来ません・・・と、一度記憶のchを全て消去してしまいましたので、それから改めてch設定。予定番組等を受信して、作業は一応完了しました。
 今日、お昼前に近くのホームセンターへ出掛けて、F型中継接栓を購入して来ました。昨日、無理矢理、接続したケーブルを、F型コネクター2個と、中継接栓を用いて完全な接続を実行しました。久し振りに作業したので、随分疲れたーーー。ヤレヤレ、お疲れ様でした。