
何年前になりますか…、この写真にあります業務用のビデオカメラ、Sonyの DXC-M3Aを使用していました。現在ではCCDか、或いはCMOSの撮像素子のカメラになっていますが、この当時は真空管を使用していたのです。撮像用の真空管が三色用として3本、当時はそれを三管式と言っていました。電源はポータブルでしたら後部にバッテリーボックスが取り付け可能で、当時はまだニッカドのバッテリーでしたが、2本をセットする事が出来ました。この時代には、未だカメラにビデオはセットされていません。これはカメラ機能のみしか有りません。従って、動画記録をする為には、このカメラを別のビデオデッキにケーブル接続しないでは、記録する事は不可能です。移動しながらの撮影であれば、携帯用のビデオデッキを左の肩にかけて、カメラは右の肩の上、一人での移動撮影は今から思えば重労働でした。
ホテル等の結構式場からビデオ撮影の注文が入ったものを、私たち委託カメラマンが頂いて、撮影に向かいました。会場には、開始予定時刻の2時間前までには到着する事…と決められていましたので、土日の就業日は、朝早くからの出勤でした。出発前日までに、当日使用するビデオテープの頭部分にタイトル、『〇〇家 〇〇家 ご結婚式・ご披露宴』というタイトルだけを入れて会場に向かいました。会場に付くと、まずはカメラに電源を入れて、真空管を充分温める事から始めます。それから、タイトルに続いて表示されるよう、建物、会場の外観等を撮影、それで、テープの準備は出来ました。撮影会場に入ると、大型のビデオデッキ、私はビクターのVHSデッキ、BR-8600を使用していましたが、そのデッキとカメラをケーブルで接続しなくてはなりません。デッキは大型ですから、会場内を移動する事は不可能です。最近のテレビ局の移動撮影はカメラ、音声、照明、それとディレクターの方々が一緒に行動なさっていますが、ブライダルビデオは、撮影に関してはすべてを一人でカバーしなくてはなりません。私は移動用に30メートルのカメラケーブルを使用していました。長いケーブルを引っ張っての移動ですが、そのケーブルが、皆様の邪魔になる事の無い様に、細心の注意を払っての移動撮影でした。ケーブルは、一般のロープとは違いますので、ケーブルをまとめる時も、ロープをまとめる様にクルクルっとは出来ません。会場内にスペースがあれば、ケーブルを8の字風に巻いてスタンバイ。ケーブルを一方から引っ張ると、ねじれの無い状態で伸びて行く、その様な巻き方? 置き方を習得して、三脚に付けた照明付きのカメラで会場内を自由に移動しての撮影でした。結婚式が約30分、それから披露宴は会場等にもよりますが、おおよそ2時間半くらい。その間、途中での休憩などは一切有りません。常にカメラ操作です。しかし、本当はカメラの操作だけではありません。絶対に失敗は許されませんので、ビデオデッキは2台使用していました。カメラのスタート、ストップに従う物と、もう1台はストップ無し、つまり記録を常時継続しておくのです。こうしておけば、もし万一、カメラのスタート、ストップで撮影出来なかった場面があっても、最悪、修正が可能ですので、その様な方式で撮影を続けました。また、デッキの横には6インチのモニターも置いていました。現場での撮影が終わると、最後にエンドタイトルを入れ、また、お色直しで皆さんが会食のシーンには、BGMを入れて、それで納品用のビデオが完成していました。当時は、VHS、β方式の時代でしたので、極力ダビングをしての納品にならない様、オリジナルテープでの納品を心掛けていました。今は、6月ですよね。6月は結婚式が多いので、私達も大変でした。多い時には、1日で3組の撮影をする事も有りました。会場はほとんどの場合は、京都グランドホテル(今は名称が変わっています)、それから各地の市民会館、弥生会館等にも行きました。これは私にとっては、全て副業でしたから、普段は毎週1日の休みも有りませんでした。土日が仏滅になると、その日はお休みでした。今から思えば、ホント、若かったのでしょうね、休みなどは欲しいとも思いませんでした。当時のカメラ、VHSビデオデッキ等も未だ大切に保存していますが、もう使用する事もないでしょう。画質では、最近のカメラには勝てません。記念品として、大切に保管しています。
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