8ミリ映画は色々のカメラを使用しました。レンズも3本ターレット式からズームレンズ、無音の時代から、フィルムサイドに磁気録音できるタイプ、フィルムも16mm幅の25ft往復、100ft往復、
レギュラーサイズ、スーパーサイズ・・・と、全ての日進月歩に、着いてゆきました。かなりの投資だったと思います。その8ミリが、次はビデオの時代へと変遷したのです。当初は、家庭用のハンディタイプ、その当時は、カメラとビデオは、ケーブルでの接続でした。カメラ一体型は未だプロでも存在しなかったのです。その当時、ビデオはβ式とVHS形式の二通りがあり、いずれにしようか迷いましたが、私はSony党でしたので、迷わずβ方式を選択しました。これで家庭内の記録は充分でしたが、少しずつ、その画質に不満を抱き、上位機種に目が移り始めたのです。未だ真空管の時代でしたが、カメラはSonyの業務用機、DXC-M3A。カメラだけで128万円でした。 それと携帯型のデッキ、VHSのビクター BR-6200。これらを購入したのです。そうした時に、京都のカメラ店のお知り合いの方からのご依頼で、結婚披露宴の撮影をする事になったのです。京都のリバーサイドホテル。朝の結婚式は、別のカメラマンが担当するとの事で、披露宴だけのご依頼でした。しかし、披露宴会場の、その広さにはまずビックリ。ライトもカメラ側からのハロゲンランプ、1灯では、とても届きません。披露宴も、正午から夕方まで、休憩後の第二部は夜の9時までという、非常に盛大な結婚披露宴でした。午後の食事会には、その当時、テレビ等で有名になっていた桂金枝さんと、月亭八宝さんがみえて、インタビューをなさったり、また、夜は別フロアーでダンスパーティー等、私自身、経験の全く無い催しの撮影に、初めてトライしました。その時のカメラマンは、私を含めて3台のカメラでの撮影でした。普通のテレビ中継等でしたら、3台のカメラの場合には、それらの信号を1箇所に集めて、一つの映像が出来るのですが、その時は、3台のカメラの連携は全然無く、それぞれが独自に撮影していましたので、金枝さんとか八宝さんは、少し面食らった時も有った様でした。センターで中継している時は、中継中のカメラにしか、撮影中のランプ表示は出ないのですが、この時は3台のカメラは、別々に撮影していましたので、「あちらのカメラを・・・」と、カメラを指さしても、どちらを向いても撮影中の表示が出ていたのです。 夜の立食パーティーの最後は、新郎新婦によるダンスを参加者全員が見守って、私はそのすぐ近くから、その演舞状況を撮影しました。新郎新婦のダンスはホントに見事でした。私もこの日は、初めての業務用カメラでの撮影でしたが、自分自身でも満足の出来た撮影でした。この時は、カメラを買ってから日も浅かったし、私の装備はマダマダ軽かったのですが、後日、本格的にビデオカメラマンのアルバイトを始めた時は、ビデオも更に固定用機を追加、カメラと接続するケーブルも、長さ30メートル、運搬用のストレッチャーは三段重ねのキャリヤー、三脚も大型となっていました。機材等は、大型となりましたが、その分、責任も非常に大きな物となりました。ビデオのカメラマンは、私一人だけ。ビデオ関係の担当者は、現場では、私一人だけで会場に臨む様になったのです。長くなりましたので、このお話は次回、再び詳しくお話しします。
レギュラーサイズ、スーパーサイズ・・・と、全ての日進月歩に、着いてゆきました。かなりの投資だったと思います。その8ミリが、次はビデオの時代へと変遷したのです。当初は、家庭用のハンディタイプ、その当時は、カメラとビデオは、ケーブルでの接続でした。カメラ一体型は未だプロでも存在しなかったのです。その当時、ビデオはβ式とVHS形式の二通りがあり、いずれにしようか迷いましたが、私はSony党でしたので、迷わずβ方式を選択しました。これで家庭内の記録は充分でしたが、少しずつ、その画質に不満を抱き、上位機種に目が移り始めたのです。未だ真空管の時代でしたが、カメラはSonyの業務用機、DXC-M3A。カメラだけで128万円でした。 それと携帯型のデッキ、VHSのビクター BR-6200。これらを購入したのです。そうした時に、京都のカメラ店のお知り合いの方からのご依頼で、結婚披露宴の撮影をする事になったのです。京都のリバーサイドホテル。朝の結婚式は、別のカメラマンが担当するとの事で、披露宴だけのご依頼でした。しかし、披露宴会場の、その広さにはまずビックリ。ライトもカメラ側からのハロゲンランプ、1灯では、とても届きません。披露宴も、正午から夕方まで、休憩後の第二部は夜の9時までという、非常に盛大な結婚披露宴でした。午後の食事会には、その当時、テレビ等で有名になっていた桂金枝さんと、月亭八宝さんがみえて、インタビューをなさったり、また、夜は別フロアーでダンスパーティー等、私自身、経験の全く無い催しの撮影に、初めてトライしました。その時のカメラマンは、私を含めて3台のカメラでの撮影でした。普通のテレビ中継等でしたら、3台のカメラの場合には、それらの信号を1箇所に集めて、一つの映像が出来るのですが、その時は、3台のカメラの連携は全然無く、それぞれが独自に撮影していましたので、金枝さんとか八宝さんは、少し面食らった時も有った様でした。センターで中継している時は、中継中のカメラにしか、撮影中のランプ表示は出ないのですが、この時は3台のカメラは、別々に撮影していましたので、「あちらのカメラを・・・」と、カメラを指さしても、どちらを向いても撮影中の表示が出ていたのです。 夜の立食パーティーの最後は、新郎新婦によるダンスを参加者全員が見守って、私はそのすぐ近くから、その演舞状況を撮影しました。新郎新婦のダンスはホントに見事でした。私もこの日は、初めての業務用カメラでの撮影でしたが、自分自身でも満足の出来た撮影でした。この時は、カメラを買ってから日も浅かったし、私の装備はマダマダ軽かったのですが、後日、本格的にビデオカメラマンのアルバイトを始めた時は、ビデオも更に固定用機を追加、カメラと接続するケーブルも、長さ30メートル、運搬用のストレッチャーは三段重ねのキャリヤー、三脚も大型となっていました。機材等は、大型となりましたが、その分、責任も非常に大きな物となりました。ビデオのカメラマンは、私一人だけ。ビデオ関係の担当者は、現場では、私一人だけで会場に臨む様になったのです。長くなりましたので、このお話は次回、再び詳しくお話しします。