私専用のカメラが欲しかったのですが、現代とは違って、まだまだ、物資の不足していた時代でしたし、当時の公務員の給与は民間よりも低い時代。親にカメラを買って・・・とは、なかなか言い難かったのです。当時、大卒の初任給が1万円程度の時代でした。だけど、カメラが欲しいなあ・・・とは、少しずつでしたが、頭から離れなくなって来たのです。しかし、物が溢れている様な時代とは違いますので、辛抱して、色々と策を練ったものでした。
小学校の時には、全校で給食が行われていました。給食は、ご飯ではありません。みんな、味の無いコッペパンで、おかずは、校内の調理場で調理された物でした。当時は、給食の専門業者なんて有りません。ご父兄の皆さんが、順番に学校の調理場に来て下さって、給食の調理をして頂いていたのです。メインはコッペパンと暖かいミルク。粉ミルクを溶いて、温めた物でした。味は何も有りませんでした。大きなバケツを二人ずつで持って、教室まで運ぶのですが、途中でバケツを落としたり…。何度かその様なトラブルも有りました。
中学校からは、給食は有りません。生徒それぞれに弁当を持参していましたが、私の場合は、弁当を持参する事はほとんど無く、学校の売店でパンと牛乳を買って、それを教室で食べていました。袋入りの細長いパン、ロールパンて言いましたかね、上部に切り目が入って、クリーム、ジャム等を挟んである物、当時あれが幾ら位しましたか・・・、1本50円か80円、もしかするともっと安かったかもしれません。毎日のパンと牛乳代、それを貯めようと考えたのです。少しずつでも小遣いを貯めて、それでカメラを買おうと計画し、実際に実行しました。昼食時になると、教室を離れ、校舎の屋上で時間を潰していました。昼食抜きでも、その影響はほとんど感じませんでした。放課後も遅くまで、校内のグラウンドで過ごしていましたから・・・。
この様な努力(?)をしていた時に発売されたのが、添付写真に有りますオリンパス ペンでした。当時のカメラの価格からすると、非常に安い価格で、5~6,000円で発売でしたか。給食代を貯めていた額を両親に示して、そのカメラを購入して頂く事が出来ました。35mmカメラのハーフサイズのネガサイズ。常に携行して、色々と撮りまくりました。しかしカメラはオート機能は何一つありません。全てが手動でしたので、露出、シャッター速度、それと大まかなピント調整。全て自分で調整して撮影を続けました。隣の小さなお友達、未だ小学校にも行く前だったと思いますが、近くの東山公園の遊具に乗る姿等を撮影して、喜ばれたりもしました。
しかし、この頃は、マダマダ、ホントの遊びみたいな撮影でした。本格的に撮影にトライしたのは、やはり高校に進んで、写真部に入ってからです。ハーフサイズのこのカメラでは不満で、もう少し、上の一眼レフに進みました。フィルム現像からスタートして、プリントは全紙まで、自宅内に暗室をも作って、各種コンテストにも応募、推薦までは経験有りませんが、入選は各種頂いたものです。このお話は、次回詳しくお話しします。
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