2017年3月30日木曜日

韓国式の結婚式、初めての経験でした


( 当日の写真ではありません )
ブライダルビデオの撮影もすっかりマスターして、毎週土日は、京都グランドホテル(現リーガロイヤルホテル京都)に通っていた頃でした。今週は、別の会場の結婚式を・・・との依頼を受けたのです。会場は、京都グランドホテルのすぐ東、全く初めての中華料理店『東天紅』でした。初めての会場に出掛ける時は、前以て、その下見をしていましたが、この時はその時間が取れなかった為、ぶっつけ本番になってしまいました。ビルの中、確か三階だったと思いますが、結婚式場は神前式。素晴らしい作りの会場でした。雅楽の演奏も、多くの会場ではテープか何かで流す所が多いのですが、ここは完全な生演奏でした。笙、ひちりき、りゅうてき等、3人の方々の演奏でした。初めて聞く生演奏で、新郎新婦の衣装は、韓国式の正装でした。何もかもが初めてでしたが、式の進行その物は、日本式と何等変りなく撮影は順調に完了しました。
 次の披露宴、会場に入って、テーブル、椅子の配列がいつもとは全然違う事に、まずビックリ。司会の方は、韓国系の方でしたが、私達との打ち合わせは、日本語でして下さいました。日本式の披露宴会場と違って、ご両親、ご家族の席が一番前の席。それからお友達…等となり、一番後ろは、何方が入って来るか分からない・・・、兎に角、沢山の方がお越しになるとの事。各方面のお知り合いの方々がみえるそうでした。
披露宴が始まりました。皆さん、着席なさって、新郎新婦の入場。しかし、正面の席に付かれる前に、お席の前に整列して、そこでご出席の方々に、新郎新婦の紹介と、ご両親を紹介するのです。司会者の方は、すべて韓国語での進行です。私は、何を仰ってるのかは、全く理解出来ません。でも、開始前に司会者の方と打ち合わせをしていましたので、どうにかカバーは出来ました。横一列に並ばれた方々を、パンニングしている間、司会者の方は、暫く時間を取って下さいました。全員の撮影を終えた時、私は司会者に向かって、左手を上げて合図、それから、新郎新婦は正面の席にお付きになりました。披露宴の順序は、ホント、韓国式で進行されましたが、打ち合わせ通りにスムーズに撮影は進んでいました。会場の中央付近が、比較的広いスペースが有り、そこに太い柱も有りましたので、柱に沿った部分に三脚を構えて撮影していたのですが、挨拶等が終わった時に、数人の方々が、横長のタイコ等、いろいろの楽器を持ち出して、いきなり演奏が始まったのです。その人数は次から次と増えて、グルグルと円を描きながらの踊りと演奏だったのですが、私はいつの間にか、その踊りの円の中心に位置する様になっていたのです。私は韓国式の宴会等は、全くの初めてでしたので、カメラマンが真ん中に居る事に、非常に違和感を覚えました。しかし、カメラマンですから、その位置から、皆さんのお姿、お顔を撮影した段階で、テープをストップ、踊りの円の外に移動させて頂きました。司会の方は、私宛てに時たま日本語でも仰って頂きましたので、どうにか無事、撮影は完了しました。披露宴の前に、詳細な式次第等を司会者の方と打ち合わせをしていましたので、ホント、助かりました。日本式で無い結婚式、披露宴は、この時、一度だけでしたが、良い経験をさせて頂きました。

2017年3月22日水曜日

手首式 血圧測定機 初めてテスト使用してビックリ!!

年齢が進んでからは、クリニックで健康状態についてお世話になっております。クリニックの先生から、日頃の血圧を継続して計測するように、とのご指示を頂きました。
 私の両親が健在な時に使用していた、上腕式の血圧計は所有はしております。これまでも必要に応じて、上腕に巻き付けて測定は実行していましたが、計測数値は一般的に判断して、正確な数値と判断しております。毎日、何度かの血圧計測を実行していました。しかし現在は気温の低い毎日。その寒い中で、上半身、裸になっての計測には辛いものがありました。そこで、上腕式では無く、手首式の血圧計が目にとまり、早速通販で購入しました。手首にセットするのですが、その位置は心臓と同じ高さにして計測するように、との説明書の指示に従って、その手首の位置をも考えながら、早速測定してみたのです。手首式は全く初めての使用でしたが、ビックリしました。ナント表示された血圧、今まで見た事も無いようなすごい数字でした。最高血圧、224mmHg。国会中継をテレビで見ている時などは、その答弁に反感を覚えて。血圧が高くなる事は、何度か経験はしています。しかし、その時でも最高血圧は170mmHg程度でした。何かの測定誤りかと考えて、何度か手の位置等を考えながら測定をしてみましてが、その表示は190mmHgよりも下がる事はありませんでした。そこで、念の為に上腕式をセットして測定してみたところ、最高血圧は147mmHgです。いくら簡便式の手首方式であっても、これだけ誤差があったのでは、とても継続使用は出来ません。今まで手首式は使用した事が無いので、この製品の問題かどうかは分かりませんが、手首を締め付けるその圧力が強すぎて、手首から先、手の平辺りが、その圧力で風船の破裂みたいに張り避けるのでは・・・との、不安な思いもしました。
 テスト測定は5回実行しましたが、その表示数値に驚き、又、その締め付けの強さにも驚き、とてもこれ以上は使用に耐えないと判断した次第です。
 通販での購入したので、その通販の会社に返品を依頼したところ、通販の下請け店からの出品なので、その下請け店に連絡するように…と、通販店からは冷たい返事。そこで、その出品店に連絡したところ、品物の不具合については製造メーカーに連絡するように・・・。出品店としては、返品には応じられない、との事。そこで、メーカーのサポート部門に連絡したところ、検査の為、即刻、現物を送付する様に…との事。面倒な事に、イヤになってしまいましたが、そのメーカーからの返信をも含めて、通販会社に連絡したところ、出品店では無く、通販会社で返品に応じて頂けるとの事。ホッとしました。今から思えば、一度も使った事の無い形式の物を、通販で申し込んだ事が間違いでした。例え通販のカタログから良いと考えても、どこかの店頭で、一度は実際にセットしてみる事が必要だったのでしょう。今回は、比較的大きな通販会社でしたので救われましたが、これが小規模の通販会社でしたら、未だに解決していないかもしれません。私は通販は良く利用していますが、大きな経験をさせて頂きました。通販会社に返送の際、乾電池はセットした状態で発送しました。乾電池を抜いてしまうと、測定した異常値も、メモリーが消えてしまいますので、測定値はメモリーに保存している旨、説明を書き添えて、発送しました。

2017年3月16日木曜日

電気ケトル が 断線??


 昼食に備えてお湯を沸かそうと、テーブルの電気ケトルにスイッチを入れました。超小型のケトルですので一度に0.8リットルしか入りません。そこで、湧いたお湯を急須に注ぎ、もう一度、電気ケトルを水で一杯にして、再度スイッチオン。暫くすると、未だスイッチを入れて1分も経たないのに、自動的にスイッチが切れたのです。エッ? 何? と、スイッチをもう一度入れ直しましたが、スイッチは入れられるのですが、電源ランプは点灯しません。アレッ? 故障かな?・・・。
テスターを出して来て、点検の開始です。ポットをセットする台座には間違い無く100Vの電気は届いていました。従って、故障は、上部、電気ケトルの本体内と断定出来ました。念の為、ケトルの底、100Vの電源を接続する部分、その両端子間の抵抗を測ったところ、テスターの表示は「1」の表示です。テスターの表示、抵抗値を計測して「1」の表示の場合には、その端子間は電気が流れていない、つまり、断線している・・・と、いう事です。
 2,000円もしない電気ケトルですが、購入したのは昨年の11月、毎日、毎日、良く働いてくれました。ここで廃棄したのでは、余りにも申し訳ないので、原因調査を開始しました。道具はプラスのドライバーとマイナスのドライバー。プラスのドライバーはビスか、木ネジを回す為、マイナスのドライバーは、本体がプラスティック製の為、いろいろの個所でパチンと、かみ合わせで止めている部分が多いと思ったからです。ヒーター本体の断線の場合には、修理は不能ですから、その場合には買い替えも考えますが、スイッチ付近の故障でしたら、修理は可能・・・と、考えての作業開始でした。まず、最初は、外から見えるビス、木ネジの取り外し。底面に3本のビス。取り外しましたが、分解できる兆候は一切無し。ケトルの蓋を開いて、その蝶番部分、どうもプラスティックの突起で止まっているだけ。マイナスドライバーを慎重に当てて、蓋の取り外し。蓋を取り外すとグリップの一番上に木ネジが2本見えました。それを外して、それからは、マイナスドライバーの出番です。グリップの外カバーがスパッと外れました。それと同時に、底部分の周囲のカバーが外れ、中の部品はすっかりその姿を現したのです。後はテスターを要所、要所に当てて、何処が悪いのか部品のチェック。ヒーターの通電はOK。本体のヒーターは切断では有りませんでした。
 スイッチの通電、ON, OFFは可能か・・・?  これもOK。残る部品は1個、絶縁カバーに包まれたコンデンサーの様な形の部品、これが全然通電無し。断線の原因はこの部品と判明しました。しかし、ヒーターと直列に、コンデンサー等が入る事は、雑音防止でも有るまいし、考えられません。部品の周囲を見ると、169℃の表示が有り、これは温度ヒューズと判明しました。そこで、温度ヒューズの価格を通販で調べたところ、2本入りで500円。早速、通販で発注しました。ここからわざわざ日本橋まで電車地下鉄で出掛けると、往復960円掛かります。部品は、本当は1本有ればよいのですが、販売元も1本の郵送では、割が合わないのでしょうから、仕方ありません。部品到着まで、3~4日は掛かるでしょう。それ迄は、バラバラにしたケトルは、そのままの状態で留めネジだけは、それそれの位置に軽く止めて、組み立てはしないで袋に入れて保存しておきます。
部品が届いた時に、断線した温度ヒューズを、新しい温度ヒューズに取替えて、半田付けすれば、修理は完了します。ヤレヤレ、これで新しいケトルを買わなくても済みました。

2017年3月5日日曜日

帽子のサイズ調整

毎日照りつける太陽、未だ6月になったばかりですが、日差しは真夏の太陽。先日、撮影に出かける時、帽子が欲しいな…と、探したところ、ナント、貰い物でしたが野球帽がありました。野球用では無く、ゴルフをする時等の帽子かもしれませんが、真っ白で誰かのサイン入りの帽子です。サイズを見ると『L』でサイズ調整も出来るようにバンド式の留め具が内側に付いていました。しかし、そのサイズ調整を一番大きくしても未だ少し私の頭は締め付けられていたのですが、そのまま被って撮影に出掛けたのです。お陰で暑さは少しは防げましたが、帰宅してからも頭が締め付けられている様な不快な感じが続きました。そこで、いつでも被れる帽子が欲しいな・・・と、思ったのですが、近くには帽子屋さんも有りません。頭のサイズを測りたかったのですが、工作用の金属製のスプリング式のメジャーしか無く、それで自分の頭のサイズを測るのは少し怖かったので、被っていた野球型の帽子の内径を測ってみました。スプリング式のメジャーを帽子の内側に沿わせて使用するのは、少し無理も有りましたが、約58cmと計測できました。帽子屋さんでデザイン等を考えながら帽子を選択するのが一番でしょうが、ここ何十年もの間、帽子を被った事も無かったので、帽子屋さんまで出掛けて、自分に似合った物を探して貰うのも、少し抵抗があり、通販での購入を考えたのです。一般的な型、中折を選びましたが、58cmで小さかったので、それより大きいサイズ、59cmの物は見当たらなくて61cmを選択したのです。届いた帽子を被ってみるとサイズはやはり大き目でした。そこで、インナーの裏側に貼ろうと、ホームセンター等で販売している隙間テープを探しましたが、見当たらず、その代わりに車両に小物を取り付ける時に使用する『ショックノンテープ』か゜出て来ました。幅が30mm有りましたので、ハサミで半分幅にして帽子のインナーの裏側に貼り付けました。少しずつ貼って試したのですが、結果としては全周に貼りつける結果になっていました。ま、こんなモノかな…と、それで一日は外出したのですが、何となく落ち着か無くて、試しに前側半分を取り除いてみたところ、それでやっとピッタリと落ち着いたのです。ホント、行くのが少し恥ずかしいな…とは思いましたが、最初から帽子屋さんまで出掛けておれば、ここまで苦労する事も無かったのですが…。
 そこで、フト思ってインターネットで検索したところ、やはり有りました。帽子サイズ調整用のスポンジテープ。最初から、この調整用のテープを知っていたら、何も苦労する必要は無かったのですが…。そこで、ご紹介しておきます。何かの時にご参考になさって下さい。
http://item.rakuten.co.jp/hatshop/10101/#10101  ここで、色々なサイズの帽子の内径調整用のテープが販売されています。(私とは何の関係も有りません。インターネットで見付けただけです)  ま、一般的には帽子屋さんに行ってお買いになるでしょうから、当然、帽子屋さんには有りますよね。失礼しました。

土日はブライダルのビデオカメラマン

何年前になりますか…、この写真にあります業務用のビデオカメラ、Sonyの DXC-M3Aを使用していました。現在ではCCDか、或いはCMOSの撮像素子のカメラになっていますが、この当時は真空管を使用していたのです。撮像用の真空管が三色用として3本、当時はそれを三管式と言っていました。電源はポータブルでしたら後部にバッテリーボックスが取り付け可能で、当時はまだニッカドのバッテリーでしたが、2本をセットする事が出来ました。この時代には、未だカメラにビデオはセットされていません。これはカメラ機能のみしか有りません。従って、動画記録をする為には、このカメラを別のビデオデッキにケーブル接続しないでは、記録する事は不可能です。移動しながらの撮影であれば、携帯用のビデオデッキを左の肩にかけて、カメラは右の肩の上、一人での移動撮影は今から思えば重労働でした。
ホテル等の結構式場からビデオ撮影の注文が入ったものを、私たち委託カメラマンが頂いて、撮影に向かいました。会場には、開始予定時刻の2時間前までには到着する事…と決められていましたので、土日の就業日は、朝早くからの出勤でした。出発前日までに、当日使用するビデオテープの頭部分にタイトル、『〇〇家 〇〇家 ご結婚式・ご披露宴』というタイトルだけを入れて会場に向かいました。会場に付くと、まずはカメラに電源を入れて、真空管を充分温める事から始めます。それから、タイトルに続いて表示されるよう、建物、会場の外観等を撮影、それで、テープの準備は出来ました。撮影会場に入ると、大型のビデオデッキ、私はビクターのVHSデッキ、BR-8600を使用していましたが、そのデッキとカメラをケーブルで接続しなくてはなりません。デッキは大型ですから、会場内を移動する事は不可能です。最近のテレビ局の移動撮影はカメラ、音声、照明、それとディレクターの方々が一緒に行動なさっていますが、ブライダルビデオは、撮影に関してはすべてを一人でカバーしなくてはなりません。私は移動用に30メートルのカメラケーブルを使用していました。長いケーブルを引っ張っての移動ですが、そのケーブルが、皆様の邪魔になる事の無い様に、細心の注意を払っての移動撮影でした。ケーブルは、一般のロープとは違いますので、ケーブルをまとめる時も、ロープをまとめる様にクルクルっとは出来ません。会場内にスペースがあれば、ケーブルを8の字風に巻いてスタンバイ。ケーブルを一方から引っ張ると、ねじれの無い状態で伸びて行く、その様な巻き方? 置き方を習得して、三脚に付けた照明付きのカメラで会場内を自由に移動しての撮影でした。結婚式が約30分、それから披露宴は会場等にもよりますが、おおよそ2時間半くらい。その間、途中での休憩などは一切有りません。常にカメラ操作です。しかし、本当はカメラの操作だけではありません。絶対に失敗は許されませんので、ビデオデッキは2台使用していました。カメラのスタート、ストップに従う物と、もう1台はストップ無し、つまり記録を常時継続しておくのです。こうしておけば、もし万一、カメラのスタート、ストップで撮影出来なかった場面があっても、最悪、修正が可能ですので、その様な方式で撮影を続けました。また、デッキの横には6インチのモニターも置いていました。現場での撮影が終わると、最後にエンドタイトルを入れ、また、お色直しで皆さんが会食のシーンには、BGMを入れて、それで納品用のビデオが完成していました。当時は、VHS、β方式の時代でしたので、極力ダビングをしての納品にならない様、オリジナルテープでの納品を心掛けていました。今は、6月ですよね。6月は結婚式が多いので、私達も大変でした。多い時には、1日で3組の撮影をする事も有りました。会場はほとんどの場合は、京都グランドホテル(今は名称が変わっています)、それから各地の市民会館、弥生会館等にも行きました。これは私にとっては、全て副業でしたから、普段は毎週1日の休みも有りませんでした。土日が仏滅になると、その日はお休みでした。今から思えば、ホント、若かったのでしょうね、休みなどは欲しいとも思いませんでした。当時のカメラ、VHSビデオデッキ等も未だ大切に保存していますが、もう使用する事もないでしょう。画質では、最近のカメラには勝てません。記念品として、大切に保管しています。

2017年3月4日土曜日

もう一度 大手術? 人エ関節 耐用年数を経過・・・


今から15年前、2002年11月でした。左の股関節が激しい痛みの為、歩けなくなってしまったのです。すぐにも病院に駆け込み、MRI検査を受けたところ、左大腿骨董壊死との診断。治療は入院手術で人工関節にするしか方法は無い、との診断でした。歩行が困難な状態でしたので、すぐにも入院手術を実行したかったのですが、しかし、それは不可能でした。
税務署の立ち入り検査が、2週間先に控えていたのです。経理の責任者として、その検査を完了させないでは、会社を抜ける事が出来なかったのです。その当時、今とは違って、マイカーはオートマチックでは無く、5段ミッションのマニュアル車に乗っていました。世間ではオートマチック車が主流になっていましたが、私は敢えて、マニュアル車を特注で購入していたのです。歩行時には耐えられない左股関節の激痛でしたが、クラッチ操作には何も問題は有りません。自宅から会社まで、約35キロ、最初の一週間はマイカーで通勤しました。渋滞の中、片道2時間近く掛かりました。当時乗っていたのは、ワンボックス車、背が高くエレベーター式の駐車場には入れません。会社から徒歩で5分くらいの青空駐車場に駐車しました。20分間300円。しかし3時間以上の場合には、一日1,000円でしたので、少しは助かりました。しかし、やはり毎日1,000円を節約する為に、電車通勤に切り替えました。満員電車で松葉杖、電車の最後部、車掌室前の壁にもたれての通勤でした。ある日、少し空いた電車が来た時でした。空席が一人分だけ空いていたのです。松葉杖を使いながら、その席に向かったのです。座ろうとした時でした。反対側から、その席を目がけて若い女性の方でした。
私よりも一瞬早く座って、私に向いて得意そうに笑っていました。松葉杖を使っている私は、正直驚きました。でも、仕方有りません。松葉杖を使って、後部の車掌室前にまで移動した記憶が有ります。
 税務署の立ち入り調査も無事終了。入院手術と聞いていましたので、自宅の近くの病院、大阪医科大に行ったのが12月1日。しかし、即日手術決定は無理でした。手術実行が決まったのは12月16日。12月24日が手術と決まったのです。股関節の部分をそっくり人工物、セラミック製の人工物に取り換える手術でした。その時聞いていた人工関節の耐用年数。8年と聞いていましたが、その後の検査では、毎回、異常なし、異常なしと、今年で満13年になります。その関節が、今頃になって、時々痛みが生じ始めたのです。歩行時等は痛みは感じ無いのですが、横になった時、軽いのですが、痛みが生じて、寝返りを打ったりして痛みを抑えているのです。
 手術直後は半年に一度の検査でしたが、最近では1年に一度の検査です。次の検査予定日は来年の7月です。痛みが酷くなれば、当然検査に行くつもりですが、再度手術となった時の事を考えて、正直気が重くなっています。手術は12月24日でした。予定時間5時間を2時間延長しての大手術でした。手術後、ぼんやりと眼を開けた時には、ナースセーター隣の部屋。すぐ家内が寄って来て、大丈夫?帰るよ・・・と、言って来たのを、覚えています。夕方5時の終了予定を2時間も過ぎていたので、私は全身麻酔なので全然知らないけど、待っている方は大変だっただろうな・・・と、思います。
 手術から数日はベッドから移動できず、トイレに車椅子で初めて行ったのは1週間後でした。1週間分を溜めいた為、苦労しました。2時間、頑張った事も忘れられません。
手術から約1カ月、初めてのリハビリも大変でした。右足は元気なのですが、左足はまるで他人の足みたいに、全く使い物にならなくて、歩行練習・・・。退院後も、近くの市民プールに通って、水中歩行を2カ月頑張りました。もう一度、この経験を繰り返すのかな…と、今、何となく不安を抱いている次第です。もうしばらく様子を見て、病院に行くかどうかを決める事にします。