2014年3月23日日曜日

和室の照明、蛍光灯を LEDに取り換え

 和室の照明は、今迄は蛍光灯、30W、32W、40Wの 合計102Wの照明。この和室は、昼間はもっぱら私専用の書斎? しかし、夜はこの部屋で、全員和室のテーブルで夕食を取っていました。最近、消費電力の少ないLEDが街の家電店には溢れていますが、和室用のこの手のランプは、2~3万円もする表示を見てビックリ。何とか安い経費でLED照明に替えられないものか・・・と考えていました。脱衣場とかトイレは40W相当のLED電球で充分な明るさでしたので、これならいけるかな・・・と、40W相当の電球、4個の照明にする事にしたのです。ネット通販で40W相当のLED電球を購入。消費電力は5.4W。これを4個点けた場合、消費電力は21.6W。現在の蛍光灯は103Wですので、1/4以下。そこで、テストもしないままに、蛍光灯からLED電球に取り換えたのです。LED電球の取付用にソケットを買って来て、それを中央に取付。電球の周囲が遊んでいるので、結線はしていませんが、32Wと40Wの蛍光灯は球のみを取りつけた形にセット。天井に取り付けて夜が来るのを待ってスイッチオン、忽ち家族からのブーイング。蛍光灯の時よりも手許が少し暗いとのクレーム。しかし、この方が電気代は安いから・・・と、その日は、その状態で休みました。しかし私自身も、少し暗いかな・・・と、思案。そこで次の日、今朝ですが午前4時に起床。再度工事に掛かりました。電気料は少し余分に消費するが、いっその事、32Wの蛍光灯の復活を試みたのです。もう、必要は無い・・・と、トランス等もすっかり取り外していたのですが、32Wだけ復活。再度、ハンダ付けする等、結構、手間は掛かりましたが、無事点灯。スイッチの切り替えで、大が32Wの蛍光灯と4個のLED電球、中が4個のLED電球のみ。小はLEDの豆球だけ。一度はすっかり部品を取り外していましたので、復活させるには、いろいろ大変でした。しかし、これで、やっと従来の明るさを取り戻しました。ヤレヤレです。見た目には、少し異様な組み合わせに見えるでしょうが、でも、2~3万円も掛ける位なら、ま、これでも良いか・・・と、一応は、家族共々、一応は納得しています。久し振りに手掛けた電気工事、坐ってする作業だけと違って、天井に上げ下げする作業も有ったので、運動不足の身体への負担はかなり大きな物が有りました。僅かな作業でしたが、足の痛み、特に膝上辺りに、かなりの筋肉痛を覚えています。でも、一応は家族の皆様のご了承も頂けましたので、ヤレヤレでした。あーあ、疲れた・・・。

( LED電球4個 +  32Wの蛍光灯 )

2014年3月13日木曜日

徐細動器(AED) 使用説明会の撮影依頼

最近では、公共施設、駅等にも携帯型の徐細動器が置かれる様にもなりましたが、病院にはもう少し大型の徐細動器が設置されています。これは、不整脈の治療に使われる器械で、心房細動(心房の収縮が無くなり、細かい波状に動く状態)、心室細動(心室の収縮が無くなり細かい波状に動く状態)を正常な動きに戻す時に用いられる補助人工臓器です。公共施設等に設置されているものについては、医学的な経験の無い方でも使用出来る様に、簡単な使用説明が添付されています。
近く、病院内において、緊急時の徐細動器の使用方法について説明会を開催するので、そのビデオ撮影をして欲しい・・・と、内科の部長から、総婦長を通じて依頼が有りました。説明会のアウトラインを伺ったところ、院内の医師、看護師を対象として、徐細動器の使い方を指導する。予定では4~5時間の予定・・・との事。使用方法は、比較的簡単なもので、左右の胸にパットを押し当てて、スイッチを入れるのが基本の動作との事。操作自体は、比較的簡単な事なのですが、その説明会に4~5時間もかけるという事は、一体どの様な講習会なのか、正直考えさせられました。
 今迄も、結婚式でしたら3時間近くの、ノーカット撮影等も経験はしていますが、それが、4~5時間にも及んだ場合、一人のカメラマンでは体力的に、手に負えません。ノーカットとなれば、三脚の下には車輪の付いたドリーで移動しますので、カメラを支える事に不安は有りませんが、どの様な位置、角度から撮影すればベストなのか、ノーカットで再生した場合に、どの様な画面になるか・・。凄く悩みました。今迄、作品等を造った経験が無ければ撮影には、何の抵抗も無かったかもしれません。単なる記念撮影程度のビデオの撮影でしたら、深く考える事も無いのですが、私自身が、一応はプロのビデオカメラマンの経験があるだけに悩みました。どの様な目的で、ビデオの記録を残すのか、又、そのビデオを再生する目的は、単なる行事の記録?、それとも、そのビデオを通じて徐細動器の使用方法を学ぶのが目的なのか・・・と、いろいろ考えました。内科部長にも伺いましたが、ビデオの撮影目的、その使用目的が今一つハッキリしません。撮影を受けた場合、当然の事ですが、そのビデオの使用目的に応じられるべく撮影、作品造りをするのですが、その目的が、今一つはっきりしない為、最終的には、撮影をお断りしました。今思い出しても、私自身は徐細動器の使用方法には興味が有りました。その講習会にも出席して、使用方法を伺いたい位の思いでしたが、ビデオの撮影をお断りをした関係で、その講習会にも出席は出来ませんでした。
 ビデオのプロカメラマン・・・と、自負もしないで、簡単な気持ちで、お受けした方が良かったのでしょうか? でも、その出来上がったビデオを見て、その出来上がりを非難されるのも嫌なものです。
やはり、お断りをして、私としては正解だったと、今も、その様に考えています。

2014年3月9日日曜日

音楽療法の集い、撮影を依頼されました

綜合病院の経理部に行き初めて半年ごろでした。新館3階の婦長からビデオ撮影の依頼が有りました。私がビデオが得意だと話していたのを総婦長辺りからでも聞いたのでしょう、病院の中、新館3階のロピーで開催される『音楽療法の集い』を撮影して欲しいとの事。ブライダルよりも手が掛からないから、まあ良いかと、即座にOKの承諾。しかし、いくら病院内、集会の撮影とはいえ絶対に失敗は許されません。そこで、撮影の装備はブライダルビデオと同様のシステムで・・・。ブライダルの当時は真空管式の3管式カメラを使用していましたが、カメラだけは新型に変更しています。ハイビジョンのカメラ、HDR-FX1を使用しました。カメラからは30メートルのビデオケーブルを使用して、押さえのテープ記録。カメラ内臓のテープではカメラのスタート、ストップに連動した記録ですが、30メートル先のデッキでは、ノンストップでの記録です。もし、途中で、スタート、ストップの遅れが有った場合には、押さえのテープから再編集が可能なシステムです。三脚の下には三脚用のドリーをセットして、移動しながらの撮影可能なシステムでスタンバイ。集いの予定時間は1時間程度と伺っていましたが、テープが不足してはまずいので、押さえのデッキは業務用機、ミニカセットならぬレギュラーサイズのテープを使用。
 機材の運搬は、ブライダルビデオの時と、全く同様でした。三段式のキャリアーにデッキ、カメラ、ケーブル等を車に積み込んで、救急車用の入り口からエレベータの近くに搬入。車はすぐ移動させて、機材を簡単に組み立てた後、3階まで移動。開始は午後1時30分の予定でしたが、私は30分前にセット開始。全ての機材に電源を入れて、準備OK。音楽療法の講師の方、演奏等の助手の方のお二人も間もなく到着。ご参加の方々は、ほとんどの方が車椅子ですので、前の方には椅子のセットは有りません。瀬尾婦長の開会のご挨拶の後、講師の方が自己紹介の後に、音楽療法の集いが開始されました。携帯オルガンの音に合わせて、皆さんのお名前をご紹介・・・。全員での合唱には、歌詞カードが欠かせません。正面のホワイトボードに、手書きの歌詞が掲示されて、全員での合唱。一つ歌が終えると、今度は全員にカスタネットの配布。歌に合わせて、カスタネットを叩き、その次は全員にスカーフの配布。流れた曲はメロディーだけですが、坂本九さんの見上げてごらん夜の星を。みなさん、両手を大きく伸ばしてスカーフを掴み、メロディに合わせて右に左に・・・。車椅子の方でも支障なく全員が参加できる様な配慮の中、1時間はすぐに経過しました。私は、その皆さん方のお姿を、カメラを移動させながら、全員、撮影しました。ブライダルよりも簡単・・・と、考えていましたが、全体の時間が少し短いだけで、カメラマンとしての負担は、何等変り無しの撮影でした。エンドミュージックの中、講師の方は参加者全員と握手を交わし、又、その様子を詰所から見た婦長が小走りに出て来て、エンディングのご挨拶。無事、音楽療法の集いは終える事が出来ました。後日、タイトル等も入れて、編集したテープと、ノーカットの連続撮影のテープを、1枚のDVDに入れて婦長にお渡ししました。この撮影は、あくまでボランティアですので、撮影料は当然ですし、使用したテープ、DVDディスク等も無償でのサービスでした。でも、これで皆さんが一日も早く、お元気になって頂ければ、有難いものです。
当日の記録は、YouTubeにアップロードしていますので、宜しければご確認下さい。
https://www.youtube.com/channel/UC1vRebGihrtYef0GCxRch0Q

2014年3月4日火曜日

救急患者は全て受け入れる事! 受け入れてから転送すれば良い!

平成14年12月24日に大腿骨董壊死症から大腿骨、骨盤の関節を人工に手術、それまでの職場は、3月31日付で定年退職。病院でのリハビリ療法も3月31日でもって完了。しかし、一般生活には未だ支障が有った為、市民プールに自転車で通って、水中歩行訓練を実行。手術から約1年後、12月には健常者とほぼ同一の行動が可能になりました。その時の年齢は60歳。未だもう少しは仕事をしたいな・・・と考えていた時、新聞広告で会計事務所の求人が目に止まりました。会計事務所は大阪ですが、勤務は私の地元の街の病院との事。早速応募して面接に伺いました。応募の方はかなり多いみたいで、応接室で暫く待機。私は予定時刻の5分前に入りましたが、前の方の面接終了まで、かなり待機させられました。面接は会計事務所の所長と、派遣先の病院の経理ご担当者のお二人。しかし、病院の方は発言は一切無し、全て会計士の方からの質問に素直に応答して、面接は特に何も無く終了。面接後、帰宅後すぐに電話連絡があり、月曜日から勤務を開始する様に・・・との事。自宅からは車で10分位。月曜日の朝は、毎週午前9時から職員の朝礼、病院の中の一室、大きさは学校の教室の2倍くらいの広さ、片隅に会議用テーブルが積み上げられていました。その当時の理事長の司会で進行する中、私も新任としてご挨拶。
これまで、病院とのお付き合いは、患者としてお世話になっただけで、その内側は全く何も知りませんでした。公的な病院は、又違うのでしょうが、この病院は理事長が設立したそうですが、病床は約220と伺いました。一応の規模は大きいかの如くに見えますが、中は完全に個人病院。実は、昭和55年頃でしたか、近所の内科医院からの紹介で、私の長女が入院した事が有りました。小学校の3~4年生の頃です。ある日、昼間です、見舞いに行きました。すると、病室には娘の姿も、ベッドも無く、娘の姿が有りません。近くの看護師の方に伺うと、ナント、驚きました。廊下の端、隅っこに置かれたベビーベッド、その中に娘が身体を小さくして休んでいました。新しい患者を迎える為の部屋移動、何方かが、退院のご予定だったのでしょう。その退院まで、空きベッドが無いので、娘はベビーベッドに寝かされて、廊下の隅っこ。娘は、病気で入院していたのですよ。
病院も外から見たのでは、内部の事は解りませんが、兎に角、この病院は設立者の声が全ての病院でした。一般の会社でも、ここまで酷いのは、見た事が有りません。医療系となると、師弟関係が一般の企業とは、又異なるのかもしれませんが・・・。朝の朝礼でのお言葉・・・『救急の連絡が有った場合は、一切断るな!! 必ず受ける事。受けて診察した後、他の病院に転送したら良い!!』
どこが採点をしているのかは知りませんが、救急を受け付けると、ポイントが+1、転送した場合の減点は無し。そこで、救急は全て受け入れて、ポイントを獲得。手に負えなかったら、転送したら良いと、当時の理事長、朝礼での発言です。その場では、誰も異議の発言は無し。驚きました。救急患者を何と心得ているのでしょうか。この件以降、身内には勿論、機会ある毎に、この病院にはお世話にはならない方が・・・と、お口添えしています。病院の全てがこんなだとは言いませんが、出来れば公の病院の方が信頼できるのかも知れません。今では、この病院の理事長は息子さんに替わっています。その後、改革がされているのかもしれませんが・・・??

2014年3月1日土曜日

水中歩行 一人で頑張った、リハビリの想い出

高槻市民プール 手前はジャグジー 後方は25mブール
12月16日に入院、手術に備えていろいろの準備期間の開始でした。それ迄、自宅では睡眠時にも水平に休む事が出来ず、ホームコタツと座イスで睡眠を取っていました。病院に入院して、水平のベッドで休めるかどうか・・・、でも実際に病室でベッドに転んでみたところ、ホント不思議でした。上を向いて、水平に休んでも痛みは出なかったのです。ベッドのスプリングのせいでしょうか、自分でも驚きました。12月24日の手術に備えて、全身のチェックを受けました。麻酔時に問題が生じるとまずい・・・との事で、歯の治療も受け、万全の態勢で手術を完了したのです。手術後、1週間目から、リハビリが始まりました。不思議ですね、ホント。左足に全然力が入らないのです。最初はベッドに横になって、左足を曲げたり伸ばしたり…。これも全て療法士の方のお手を煩わせての訓練でした。リハビリを始めてから1週間位でしたか、やっと両足で立てるようになりましたが、歩行はマダマダ。両サイドの手すりに捉まって、1歩1歩。3週間目には、両足での歩行が出来る様に回復しました。リハビリ室の周囲を、一人でグルーッと一周、療法士の方の指導に従って、やっと杖無しで、普通に歩行が可能になった頃、手術からは約1カ月が経過していました。一日も早く、会社に復帰したいとの思いから、1月29日には退院して、翌日には出勤しました。リハビリの際も、自転車のペダルを踏む様な運動もしていましたので、自宅から駅までは、自転車を利用しました。しかし、やはり手術前とは違って、左足の踏む力が全然足りません。リハビリ室では、何の苦労も無く、ペダルを踏んだのに・・・と思いましたが、多分、リハビリ室のペダルは、極く軽い負荷しか掛かって無かったのでしょう。実際に道路を走ると、平地は兎も角、ホンの僅かな登りでも、自転車が進まないのです。止む無く、自転車を降りて、その僅かな登りを押して、再度自転車に跨ったものでした。電車は摂津富田から梅田まで、約20分。電車通勤を再開して2~3日目の事でした。新大阪までは何の支障も無く吊革に捉まっていたのですが、新大阪を出た辺りで、急に気分が悪くなったのです。でも、5分足らずで大阪駅に着くから・・・と、じーっと耐えました。大阪駅に着いて、皆さんと一緒にホームに降りましたが、真っ直ぐな歩行が出来なくなって、階段横のフェンス、そのフェンスに捉まって、その場にしゃがみ込んだのです。暫くすると、それを見かねた一般の方が、立ち止まってお声をかけて下さいました。大丈夫です・・・多分、脳貧血ですから・・・と、答えてじっとしていると、駅員に方が階段を上ってみえて、休む場所として、駅員室に案内して下さいました。JR大阪駅には救護室の設備は無いそうです。事務用の椅子に座って10分位。その後、タクシーで会社に向かいました。
 その時の私の年齢は59歳。定年の60歳まで、あと僅か。4月24日が誕生日ですが、会社の勧めで3月31日の定年退職を選択、無事勤務を完了しました。しかし、身体はマダマダ本調子では有りません。自転車で10分位の所に、高槻市の市民プールが有りました。水中歩行で自力でリハビリを開始したのです。水泳は何年か振りでした。50メートルのプールに入って、クロールを始めたのですが、ほとんど前に進まないのには驚きました。深い50メートルプールは諦めて、室内の浅い25メートルのプールに移動。一番端のレーンは、水中歩行をなさる方の為に、空けられていましたので、その中に入って、何回も何回も25メートルを往復。周りは私よりもウンと歳の進んだ方ばかりでした。屋内のプールには、帽子を被らなくては駄目とか。初日は貸して頂きましたが、2日目からは自分の帽子で・・・。回数券を買いましたが、私は既に4級の身体障害者の認定を受けていましたので、料金は半額でした。水中歩行と、自転車の往復で、筋肉はやっと従来に復帰。手術から調度1年経過後、新しい職場に就く事が出来ました。自宅から車で10分位、綜合病院の経理指導として毎日勤務を始めました。ベッド数は220床、高槻市内では比較的大きな病院でした。調度その様な時でした。マイカーでの通勤でしたが、ある日、帰りに車に乗ったところ、ラジオから次から次とお名前を読み上げる放送が続いていました。途中から聞いたので、最初は何の放送か理解出来なかったのですが、後で解った事です。尼崎のJR福知山線の事故の犠牲者の方のお名前でした。今、思い出せば、ホント、いろいろな事が有りました。

2014年2月27日木曜日

自宅の庭に アライグマ、ラスカル!!

ここは大阪府高槻市、この付近は住宅地、新旧の住宅に囲まれた一帯で、田畑等からも随分離れた場所になります。近くの山までは、10キロ近くという、平地の住宅地です。そこに、アライグマが現れたのです。今日、フト、そのアライグマと面会した事を思い出しました。
 月日が経つのは早い物で、あれは平成14年12月でした。昨年の7月頃のブログにも書きましたが、この当時、大腿骨董壊死症の診断を受けて、手術に備えて、待機をしていた頃でした。大腿骨の関節部分の痛みから、診断書を提出して、会社は休んでいました。夜、休む時も、水平に転ぶと痛みが酷くて、床に付けなかったのです。止む無く、1階の和室でホームコタツに座イスを置いて、座イスにもたれて睡眠を取っていたのです。夜明け間近で、周囲は未だ暗い様な状態でしたが、ライトは付けなくても見える位の明るさでした。障子を開けて、ガラス戸越しに外を眺めていた時、お隣のブロック塀の上を移動する動物に気が付きました。ブロック塀の上から、我が家側のフェンスの上に降りようとして、前脚を下に伸ばしました。お隣のブロック塀よりも、我が家のフェンスは、60センチ位、低い場所になるのですが、その前脚を揃えて、下に伸ばして、フェンスの上に全身を下ろし、フェンスの上を横にスルスルッと移動して、更に別のお隣のお宅側に姿を消しました。ガラス戸越ですが、私との距離は3メートル位。当然私の姿も見えていたとは思いますが、何の抵抗も無く、堂々とした移動でした。野生では無く、ペットとして飼われていたものかもしれません。
 最初に、その顔を見た時、アレッ、タヌキだ!と思ったのです。こんな場所にもタヌキがいるんだ・・・と、ビックリもしたものです。その後起きて来た家族と話していた時、その様子を色々と話していると、突然、娘が、尻尾がリング状に白黒になって無かった?と言いだし、そこで初めて気が付きました。確かに尻尾には白黒の模様が有った・・・と話すと、それはラスカルやーー。ホント、確かに尻尾の模様は有りました。アライグマが、この辺りには決して生息はしていません。ペットが逃げ出したか、或いは、何方かが放置なさったのか・・・。アライグマの出現は、各地で発生している・・・とは、知っていましたが、まさか、我が家まで・・・。ホント、珍しい経験をしました。それ以降の面会は一度も有りません。一回だけでしたが、アライグマ。私に警戒心も見せないで、堂々とした行動でした。各地では放置したペットの被害等も報じられていますが、私も実際に、動物園以外で、その姿を見る事が出来たとは・・・。身体に痛みの酷い手術待ちの状態の中で、初めて見たアライグマ、ラスカル、何か、今でも凄く懐かしい様な想い出として、頭に深ーく、記憶しています。

2014年2月25日火曜日

一斉摘発 大阪日本橋 違法DVD

大阪浪速区 日本橋
今日、テレビの報道で日本橋の違法DVD販売業者5社が摘発されたそうです。修正無しのアダルトビデオとか、コピーをしただけの海賊版、大きな段ボール箱に収めたDVD、警察の小型車が載せきれない位の量の様子でした。
昔の日本橋と言えば、ホント、デンキのマチでした。小さな部品の一つから販売していましたので、地下鉄で良く通いました。4階建ての店舗の場合、私が行くのはその最上階、4階のパーツ売り場でした。プリント基板を自作して、そこに色々なパーツを組み立てて、マイカーにはアンプ等も作成、又、シフトレバーに各種の切り替えスイッチを取りつけて、アマチュア無線の運用等
大阪日本橋さんには、本当にお世話になりました。しかし、そういえば最近は日本橋には出掛けて無いですね。大分に赴任していた時には、大分では何も手に入らなかったので、出張で大阪に来た時には、必ず日本橋に行ったのですが・・・。
 最後に日本橋に行ったのは何年前ですかね。10年以上、もう行って無いですね。最近では、各種パーツはインターネットの通販で、送料さえ辛抱すれば、何でも手に入りますし、日本橋まで行く交通費を考えると、通販で送料を支払った方が安いかもしれません。
それと、話に聞くところでは、最近の大阪日本橋は、ガールズパートとか、今日取締の有った違法DVDの販売店とか、どうも雰囲気が従来とは変ってしまったみたいです。私も最近は、出掛けて無いから、それ以上の事は解りませんが・・・。
最近、私が電器の量販店に出掛けるのは、高額商品の場合には、現物の操作等を確認の為。最近のテレビも、全て通販を利用しました。テレビは、リビングと和室、それぞれ37インチです。これも通販です。アンテナ等は自分でやりました。でも、エアコンだけは、私も経験ないので、自宅近くの量販店のお世話になりましたが・・・。エアコンの取付も、一度経験すれば、自分でも出来るのですが、未だ、トライはしていません。ホースの中のガスを本体に戻す操作等、原理は解っているのですが、実際には手を出してないので・・・。
 私が今、一番悔しいのが、年を取ってから、2階の屋根の上に上がれなくなった事です。古いVHFのテレビアンテナが上がったままなのです。イエ、梯子をかけて、どうしても上がれ!!となれば、覚悟をして上がりますが、でも、若い時とはチョット違うので、今は、自重しています。ま、その方が安全ですよね。

2014年2月22日土曜日

MCA無線機の導入

MCA無線車載機
この当時、携帯電話は既に発売はされていました。しかし、その当時の携帯電話は、非常に高価であり、また、その大きさも並大抵の物では無かったのです。持ち運びも出来ましたが、バッテリーと一式、ショルダータイプの物でした。受話器も、固定電話と同じ様な形の物でした。しかし、余りの大きさと重さの為、一般的にはショルダータイプよりも、車のセンターコンソールに設置してご利用になっているのは、時々、見かけた事は有りました。私の赴任した会社では、未だ携帯電話の利用はしていませんでした。その代わり、ポケットベルを全員が携行して、営業活動をしていたのです。
一方、私の趣味はアマチュア無線でしたので、マイカーにも取り付け、又、ハンディ機も使用していましたので、近距離で有れば、アマチュア無線で自宅との連絡に使用していました。大分に赴任してからですが、家内もサンアイ無線の講習会に出席して、アマチュア無線の資格を取得して貰っていたのです。自宅との連絡は非常に便利でしたが、一方、会社ではポケットベルだけの利用でしたので、外出している社員との連絡は、非常に苦労しました。ポケットベルを鳴らして、その社員からの電話連絡を待って、それでやっと連絡が付く状態でした。そこで、社内でも無線システムの利用を考えました。1社だけで利用する無線システムも有りましたが、それには専従の有資格者を置く等の条件が有りましたが、何社かで同一の電波を利用するタイプ、MCA無線で有れば、簡単に設置できる事が解りました。何社かで共同の利用とはいえ、やはり業務用ですので、無線機は結構高い物でした。同じ様な周波数のアマチュア無線機であれば、私も何台かは所有していましたが、アマチュア無線で業務を行っては違法です。そこで、了解を頂いてMCA無線を導入する事になりました。社長用車、営業車、配達用車それぞれと、本社には基地局を設置。各車両には50㎝程のホイップアンテナをルーフトップに上げ、本社屋上には5/8λのGPアンテナを挙げました。随分便利になりました。〇〇本社より〇〇何号車、応答願います・・・と、本社から移動局を呼び出せば、即座に返事が有ります。会社の活動範囲は、大分県は中津、佐伯までありましたが、本社のGPアンテナからは、そこ迄は届きませんでした。しかし、大分市の周辺までは、充分使用出来ました。2~3社が共同で使用する…と、聞いていましたが、他社の方の声は、ほとんど聞いた事は無く、まるで、当社専用の様な感覚で使用したものです。例え車を離れている場合には、呼び出しをセットすれば、無線機から呼び出し音が流れますので、連絡に苦労する事は解消されました。本社のアンテナ設置には、業者の方もみえましたが、屋上への設置、5D2Vのケーブルの引き込み、M型コネクターのハンダ付け等は、私も充分経験していますので、勿論、お手伝いもしました。最近では、MCA無線もデジタル方式になっているのですね。各社が同一の周波数の電波を使用しても、その内容は他社には届かない様になっているのでしょう。詳しくは知りませんが・・・。
 現在の、携帯、スマホの時代からは考えられない事ですが、ホント、昔はポケットベル、あれは便利でしたよね。出来た頃は、誰もが称賛したのですが・・・。今、思い出すと懐かしいですね。                                

会社内部のリニューアルオープン


現在の会社全景(現在は全国組織の支店になっています) 
大分に転勤して数カ月、大分の生活にも少しずつ慣れて来ました。会社の建物は鉄骨造りで、周囲は一見、鉄筋コンクリート造りの様に見えますが、内部の配置等は、年月を経た、古い作りのままでした。正面の入口から中に入った印象では、机が何組かに向きあった、正直古臭ーい、昔ながらの事務所のイメージでした。このイメージを、もう少し、スッキリして、お越しになる方に、もう少し良い印象の事務所にしたいと考え始めたのです。しかし、〇〇大分販売㈱の本社ですが、株主は親会社のメーカーと、地元のガソリン販売会社が、それぞれ50%を保有していました。株主の方の同意を得て、内部のリニューアルを進める事にしたのです。施工は従来からの取引先、中央広告さんにお願いする事にしました。中央広告の社長、当社の社長と共に、改造のプランを色々と検討しました。狭い事務所部分をもう少し広げて、床はリノリウムのパネル張り、天井は高い釣り天井で、内部を明るく、すっきりと。タイヤ交換の作業場所、それ迄はタイヤ交換の際には、ガレージジャッキを用いて、車両を持ち上げていたのですが、地下に埋め込み型のリフトアップ式とする事にしました。まず最初に手掛けたのが、一番の大工事となる、作業場の埋め込み型のリフトアップの取付。。従来のコンクリートの床を破って、地下を掘り下げなくてはなりません。コンクリートの床を削岩機で破るのですから、非常に大きな騒音が出るのは間違いありません。その騒音対策として、表のシャッターは閉めた状態で作業する事にはしましたが、しかし、それでも周囲には大変な騒音です。周囲には住宅も有りましたので、工事に先立って、手土産を持って一軒一軒、お断りに伺いました。勿論、これは管理部長の私の仕事です。初めてのお宅に、順番に伺いました。昼間は誰も居ないから構いません、というお宅が多かったのですが、中にはお子さんの小さい方が、いらっしゃるご家庭も有りました。大きな騒音は一日だけで終わらせますので・・・と、みなさんのご了解を頂く事が出来ましたので、早速工事の開始。実に大きな音でした。作業場のコンクリートは約20センチの厚みが有りましたが、その全てを破って、小型のユンボで深く掘り下げての工事でした。作業場のシャッターは、従来は横棒が連なった様なタイプの物でしたが、中の見えない普通タイプのシャッターに交換する事にしました。ところが、それ迄は、シャッターの間からツバメが入って、巣を造っていたのですが、それが出入りが出来なくなります。そこで、横の柱の部部近くに、ツバメが通れるように、従来のシャッターも少し残して・・・。
ツバメの為に、シャッター、入口を考えるとは、やはり都会とは違う事を認識させられました。
 事務所内は、全く見違える様な造り、まるでビル内の一室の様になりました。事務所の奥を広げて、全員の机を正面の入口に向けて着席する様に配列、その最後列に管理部門の席を設けて、大型金庫もその一角に設置。社長室は、2階に別室を設けました。入口サイドには、お客様用にソファー等も3組設置。又、応接室も1か所設置出来ました。今迄とは、ホント、見違える様な事務所が完成したのです。
リノリウムを貼り付ける時に業者の方に伺ったところ、定期的に磨かなければ、汚れが取れない・・とか。事務所内を美しく保つ為に、定期的に床磨き・・・。これで、又、私の仕事が大きく増えようとは・・・。その時は、ナントも考えていなかったのですが・・・。

2014年2月21日金曜日

やっと来た 春

庭のサクラ草が、やっと優しい花を開きました。大雪で道路が遮断されて孤立の方もいらっしゃるとか、お見舞いを申し上げます。
2月21日金曜日、月日の経つのがこんなに早いとは・。
仕事から退いて、約1年半、毎週3日、往復の時間も含めると、約6時間掛かって透析治療を受けていますが、透析の4時間は、テレビを眺めながら、非常に永い4時間です。透析以外は自宅内で過ごしているのですが、1週間が、アッという間に過ぎ去ってしまっています。今年、新年を迎えたばっかりみたいな感覚ですが、でも既に2月も終わりに近付いています。会社勤めをしている時は、5日、10日毎にそれぞれの数字をチェックして、又、その数字から1カ月の予測を立てて、いろいろと手を打ったものですが・・・。今は、庭にチョコッと出て、カメラのシャッターを押す位だけ。若い頃と違って、年齢と共に体調を崩しているせいでもありますが、しかし、本当に信じられない位に、日が経つのが早く感じられます。病院に通うのもタクシーでの往復ですので、今年の冬、防寒具を着て外に出た事は、一度も有りません。ワイシャツに紺のブレザーが、私の外出着。ネクタイはしていません。電車通勤の頃は、その上にコートを着用していましたが・・・。
 若かりし頃と、大きな変化は、今、帽子を被っている事です。私が帽子を被ったのは高校を卒業する迄でした。その後は、セットが崩れる・・・と、帽子は一切使用しませんでした。でも、年齢と共に、有るべき物の数が、段々と減少。出先で写された自分の姿を見て、何度もビックリしたものです。普段見ている自分の顔は、鏡に向かった時の正面の姿しか知りませんでした。スナップとして写された写真は、正面では無くて、おおよそ横顔の写真。初めて見た時は、エーエッ? これ、誰??と思いもしました。頭が段々薄くなって、正面からだと特に何とも思わないのですが、横から見ると、髪の隙間、切れ目がまともに見えるのです。こんな頭、これが私の姿??と、最初は驚きました。信じられない思いでした。
 そこで、帽子を被る事にしたのです。しかし、野球帽を被る訳にもゆかないし、どんな帽子にしようかと、随分悩んだものです。今迄、スーツしか着た事の無い私が、ハンティング、野球帽は被れません。そこで、ネット等でいろいろ探しまわった挙句、七折れ帽を選択しました。でも、テレビで見た某国の元外務大臣の様に、帽子を斜めに被ったりはしません。まるで、ハイキング用の帽子を被るかの如く、真っ直ぐに被っています。最近は、必ず帽子を被っての外出ですが、でも、女性と違って男性は、帽子を脱ぐのが礼儀の場所も有りますよね。そんな時、ホントは被り続けたいのですが、仕方ありません。脱がざるを得ませんが、ホントは脱ぐのは嫌です。運転免許にも、マークが有る様に、帽子の利用にも、年齢を表示して、脱がなくても良い・・・とか、無理ですよね、そんなのは。そうかといって、髪を短く、丸坊主みたいにするのも嫌だし・・・。この様な悩みも、いつまで続けられるか・・・、あと何年髪が有るのかな・・・。