2017年3月16日木曜日

電気ケトル が 断線??


 昼食に備えてお湯を沸かそうと、テーブルの電気ケトルにスイッチを入れました。超小型のケトルですので一度に0.8リットルしか入りません。そこで、湧いたお湯を急須に注ぎ、もう一度、電気ケトルを水で一杯にして、再度スイッチオン。暫くすると、未だスイッチを入れて1分も経たないのに、自動的にスイッチが切れたのです。エッ? 何? と、スイッチをもう一度入れ直しましたが、スイッチは入れられるのですが、電源ランプは点灯しません。アレッ? 故障かな?・・・。
テスターを出して来て、点検の開始です。ポットをセットする台座には間違い無く100Vの電気は届いていました。従って、故障は、上部、電気ケトルの本体内と断定出来ました。念の為、ケトルの底、100Vの電源を接続する部分、その両端子間の抵抗を測ったところ、テスターの表示は「1」の表示です。テスターの表示、抵抗値を計測して「1」の表示の場合には、その端子間は電気が流れていない、つまり、断線している・・・と、いう事です。
 2,000円もしない電気ケトルですが、購入したのは昨年の11月、毎日、毎日、良く働いてくれました。ここで廃棄したのでは、余りにも申し訳ないので、原因調査を開始しました。道具はプラスのドライバーとマイナスのドライバー。プラスのドライバーはビスか、木ネジを回す為、マイナスのドライバーは、本体がプラスティック製の為、いろいろの個所でパチンと、かみ合わせで止めている部分が多いと思ったからです。ヒーター本体の断線の場合には、修理は不能ですから、その場合には買い替えも考えますが、スイッチ付近の故障でしたら、修理は可能・・・と、考えての作業開始でした。まず、最初は、外から見えるビス、木ネジの取り外し。底面に3本のビス。取り外しましたが、分解できる兆候は一切無し。ケトルの蓋を開いて、その蝶番部分、どうもプラスティックの突起で止まっているだけ。マイナスドライバーを慎重に当てて、蓋の取り外し。蓋を取り外すとグリップの一番上に木ネジが2本見えました。それを外して、それからは、マイナスドライバーの出番です。グリップの外カバーがスパッと外れました。それと同時に、底部分の周囲のカバーが外れ、中の部品はすっかりその姿を現したのです。後はテスターを要所、要所に当てて、何処が悪いのか部品のチェック。ヒーターの通電はOK。本体のヒーターは切断では有りませんでした。
 スイッチの通電、ON, OFFは可能か・・・?  これもOK。残る部品は1個、絶縁カバーに包まれたコンデンサーの様な形の部品、これが全然通電無し。断線の原因はこの部品と判明しました。しかし、ヒーターと直列に、コンデンサー等が入る事は、雑音防止でも有るまいし、考えられません。部品の周囲を見ると、169℃の表示が有り、これは温度ヒューズと判明しました。そこで、温度ヒューズの価格を通販で調べたところ、2本入りで500円。早速、通販で発注しました。ここからわざわざ日本橋まで電車地下鉄で出掛けると、往復960円掛かります。部品は、本当は1本有ればよいのですが、販売元も1本の郵送では、割が合わないのでしょうから、仕方ありません。部品到着まで、3~4日は掛かるでしょう。それ迄は、バラバラにしたケトルは、そのままの状態で留めネジだけは、それそれの位置に軽く止めて、組み立てはしないで袋に入れて保存しておきます。
部品が届いた時に、断線した温度ヒューズを、新しい温度ヒューズに取替えて、半田付けすれば、修理は完了します。ヤレヤレ、これで新しいケトルを買わなくても済みました。

2017年3月5日日曜日

帽子のサイズ調整

毎日照りつける太陽、未だ6月になったばかりですが、日差しは真夏の太陽。先日、撮影に出かける時、帽子が欲しいな…と、探したところ、ナント、貰い物でしたが野球帽がありました。野球用では無く、ゴルフをする時等の帽子かもしれませんが、真っ白で誰かのサイン入りの帽子です。サイズを見ると『L』でサイズ調整も出来るようにバンド式の留め具が内側に付いていました。しかし、そのサイズ調整を一番大きくしても未だ少し私の頭は締め付けられていたのですが、そのまま被って撮影に出掛けたのです。お陰で暑さは少しは防げましたが、帰宅してからも頭が締め付けられている様な不快な感じが続きました。そこで、いつでも被れる帽子が欲しいな・・・と、思ったのですが、近くには帽子屋さんも有りません。頭のサイズを測りたかったのですが、工作用の金属製のスプリング式のメジャーしか無く、それで自分の頭のサイズを測るのは少し怖かったので、被っていた野球型の帽子の内径を測ってみました。スプリング式のメジャーを帽子の内側に沿わせて使用するのは、少し無理も有りましたが、約58cmと計測できました。帽子屋さんでデザイン等を考えながら帽子を選択するのが一番でしょうが、ここ何十年もの間、帽子を被った事も無かったので、帽子屋さんまで出掛けて、自分に似合った物を探して貰うのも、少し抵抗があり、通販での購入を考えたのです。一般的な型、中折を選びましたが、58cmで小さかったので、それより大きいサイズ、59cmの物は見当たらなくて61cmを選択したのです。届いた帽子を被ってみるとサイズはやはり大き目でした。そこで、インナーの裏側に貼ろうと、ホームセンター等で販売している隙間テープを探しましたが、見当たらず、その代わりに車両に小物を取り付ける時に使用する『ショックノンテープ』か゜出て来ました。幅が30mm有りましたので、ハサミで半分幅にして帽子のインナーの裏側に貼り付けました。少しずつ貼って試したのですが、結果としては全周に貼りつける結果になっていました。ま、こんなモノかな…と、それで一日は外出したのですが、何となく落ち着か無くて、試しに前側半分を取り除いてみたところ、それでやっとピッタリと落ち着いたのです。ホント、行くのが少し恥ずかしいな…とは思いましたが、最初から帽子屋さんまで出掛けておれば、ここまで苦労する事も無かったのですが…。
 そこで、フト思ってインターネットで検索したところ、やはり有りました。帽子サイズ調整用のスポンジテープ。最初から、この調整用のテープを知っていたら、何も苦労する必要は無かったのですが…。そこで、ご紹介しておきます。何かの時にご参考になさって下さい。
http://item.rakuten.co.jp/hatshop/10101/#10101  ここで、色々なサイズの帽子の内径調整用のテープが販売されています。(私とは何の関係も有りません。インターネットで見付けただけです)  ま、一般的には帽子屋さんに行ってお買いになるでしょうから、当然、帽子屋さんには有りますよね。失礼しました。

土日はブライダルのビデオカメラマン

何年前になりますか…、この写真にあります業務用のビデオカメラ、Sonyの DXC-M3Aを使用していました。現在ではCCDか、或いはCMOSの撮像素子のカメラになっていますが、この当時は真空管を使用していたのです。撮像用の真空管が三色用として3本、当時はそれを三管式と言っていました。電源はポータブルでしたら後部にバッテリーボックスが取り付け可能で、当時はまだニッカドのバッテリーでしたが、2本をセットする事が出来ました。この時代には、未だカメラにビデオはセットされていません。これはカメラ機能のみしか有りません。従って、動画記録をする為には、このカメラを別のビデオデッキにケーブル接続しないでは、記録する事は不可能です。移動しながらの撮影であれば、携帯用のビデオデッキを左の肩にかけて、カメラは右の肩の上、一人での移動撮影は今から思えば重労働でした。
ホテル等の結構式場からビデオ撮影の注文が入ったものを、私たち委託カメラマンが頂いて、撮影に向かいました。会場には、開始予定時刻の2時間前までには到着する事…と決められていましたので、土日の就業日は、朝早くからの出勤でした。出発前日までに、当日使用するビデオテープの頭部分にタイトル、『〇〇家 〇〇家 ご結婚式・ご披露宴』というタイトルだけを入れて会場に向かいました。会場に付くと、まずはカメラに電源を入れて、真空管を充分温める事から始めます。それから、タイトルに続いて表示されるよう、建物、会場の外観等を撮影、それで、テープの準備は出来ました。撮影会場に入ると、大型のビデオデッキ、私はビクターのVHSデッキ、BR-8600を使用していましたが、そのデッキとカメラをケーブルで接続しなくてはなりません。デッキは大型ですから、会場内を移動する事は不可能です。最近のテレビ局の移動撮影はカメラ、音声、照明、それとディレクターの方々が一緒に行動なさっていますが、ブライダルビデオは、撮影に関してはすべてを一人でカバーしなくてはなりません。私は移動用に30メートルのカメラケーブルを使用していました。長いケーブルを引っ張っての移動ですが、そのケーブルが、皆様の邪魔になる事の無い様に、細心の注意を払っての移動撮影でした。ケーブルは、一般のロープとは違いますので、ケーブルをまとめる時も、ロープをまとめる様にクルクルっとは出来ません。会場内にスペースがあれば、ケーブルを8の字風に巻いてスタンバイ。ケーブルを一方から引っ張ると、ねじれの無い状態で伸びて行く、その様な巻き方? 置き方を習得して、三脚に付けた照明付きのカメラで会場内を自由に移動しての撮影でした。結婚式が約30分、それから披露宴は会場等にもよりますが、おおよそ2時間半くらい。その間、途中での休憩などは一切有りません。常にカメラ操作です。しかし、本当はカメラの操作だけではありません。絶対に失敗は許されませんので、ビデオデッキは2台使用していました。カメラのスタート、ストップに従う物と、もう1台はストップ無し、つまり記録を常時継続しておくのです。こうしておけば、もし万一、カメラのスタート、ストップで撮影出来なかった場面があっても、最悪、修正が可能ですので、その様な方式で撮影を続けました。また、デッキの横には6インチのモニターも置いていました。現場での撮影が終わると、最後にエンドタイトルを入れ、また、お色直しで皆さんが会食のシーンには、BGMを入れて、それで納品用のビデオが完成していました。当時は、VHS、β方式の時代でしたので、極力ダビングをしての納品にならない様、オリジナルテープでの納品を心掛けていました。今は、6月ですよね。6月は結婚式が多いので、私達も大変でした。多い時には、1日で3組の撮影をする事も有りました。会場はほとんどの場合は、京都グランドホテル(今は名称が変わっています)、それから各地の市民会館、弥生会館等にも行きました。これは私にとっては、全て副業でしたから、普段は毎週1日の休みも有りませんでした。土日が仏滅になると、その日はお休みでした。今から思えば、ホント、若かったのでしょうね、休みなどは欲しいとも思いませんでした。当時のカメラ、VHSビデオデッキ等も未だ大切に保存していますが、もう使用する事もないでしょう。画質では、最近のカメラには勝てません。記念品として、大切に保管しています。

2017年3月4日土曜日

もう一度 大手術? 人エ関節 耐用年数を経過・・・


今から15年前、2002年11月でした。左の股関節が激しい痛みの為、歩けなくなってしまったのです。すぐにも病院に駆け込み、MRI検査を受けたところ、左大腿骨董壊死との診断。治療は入院手術で人工関節にするしか方法は無い、との診断でした。歩行が困難な状態でしたので、すぐにも入院手術を実行したかったのですが、しかし、それは不可能でした。
税務署の立ち入り検査が、2週間先に控えていたのです。経理の責任者として、その検査を完了させないでは、会社を抜ける事が出来なかったのです。その当時、今とは違って、マイカーはオートマチックでは無く、5段ミッションのマニュアル車に乗っていました。世間ではオートマチック車が主流になっていましたが、私は敢えて、マニュアル車を特注で購入していたのです。歩行時には耐えられない左股関節の激痛でしたが、クラッチ操作には何も問題は有りません。自宅から会社まで、約35キロ、最初の一週間はマイカーで通勤しました。渋滞の中、片道2時間近く掛かりました。当時乗っていたのは、ワンボックス車、背が高くエレベーター式の駐車場には入れません。会社から徒歩で5分くらいの青空駐車場に駐車しました。20分間300円。しかし3時間以上の場合には、一日1,000円でしたので、少しは助かりました。しかし、やはり毎日1,000円を節約する為に、電車通勤に切り替えました。満員電車で松葉杖、電車の最後部、車掌室前の壁にもたれての通勤でした。ある日、少し空いた電車が来た時でした。空席が一人分だけ空いていたのです。松葉杖を使いながら、その席に向かったのです。座ろうとした時でした。反対側から、その席を目がけて若い女性の方でした。
私よりも一瞬早く座って、私に向いて得意そうに笑っていました。松葉杖を使っている私は、正直驚きました。でも、仕方有りません。松葉杖を使って、後部の車掌室前にまで移動した記憶が有ります。
 税務署の立ち入り調査も無事終了。入院手術と聞いていましたので、自宅の近くの病院、大阪医科大に行ったのが12月1日。しかし、即日手術決定は無理でした。手術実行が決まったのは12月16日。12月24日が手術と決まったのです。股関節の部分をそっくり人工物、セラミック製の人工物に取り換える手術でした。その時聞いていた人工関節の耐用年数。8年と聞いていましたが、その後の検査では、毎回、異常なし、異常なしと、今年で満13年になります。その関節が、今頃になって、時々痛みが生じ始めたのです。歩行時等は痛みは感じ無いのですが、横になった時、軽いのですが、痛みが生じて、寝返りを打ったりして痛みを抑えているのです。
 手術直後は半年に一度の検査でしたが、最近では1年に一度の検査です。次の検査予定日は来年の7月です。痛みが酷くなれば、当然検査に行くつもりですが、再度手術となった時の事を考えて、正直気が重くなっています。手術は12月24日でした。予定時間5時間を2時間延長しての大手術でした。手術後、ぼんやりと眼を開けた時には、ナースセーター隣の部屋。すぐ家内が寄って来て、大丈夫?帰るよ・・・と、言って来たのを、覚えています。夕方5時の終了予定を2時間も過ぎていたので、私は全身麻酔なので全然知らないけど、待っている方は大変だっただろうな・・・と、思います。
 手術から数日はベッドから移動できず、トイレに車椅子で初めて行ったのは1週間後でした。1週間分を溜めいた為、苦労しました。2時間、頑張った事も忘れられません。
手術から約1カ月、初めてのリハビリも大変でした。右足は元気なのですが、左足はまるで他人の足みたいに、全く使い物にならなくて、歩行練習・・・。退院後も、近くの市民プールに通って、水中歩行を2カ月頑張りました。もう一度、この経験を繰り返すのかな…と、今、何となく不安を抱いている次第です。もうしばらく様子を見て、病院に行くかどうかを決める事にします。

2017年2月28日火曜日

我が家の梅も開花しました

我が家の梅も開花しました

庭を覗いて、フト気付きました。あの小さな蕾だった梅。花を開いていました。各地の梅が開花したとテレビでは見ていましたが、我が家の梅も、決して早くはないけれど、開花しました。
愈々、春ですね・・・。でも、天気予報では、また来週は冷え込むとか・・・。ホント、はーやくこい・・・です。

2017年2月24日金曜日

MRI検査の結果 "治療方法は、手術しか無い!!"

私が初めての就職、未だ若かったです。23才の時、最初に与えられた仕事は、手書きの設計図を清書する仕事、トレーシングでした。手書きの設計図を下に置いて、その上に幅約1メートルのトレーシングペーパー。トレーシングペーパーの裏はツルツル、何も書けませんが、表はザラザラになっている樹脂製の用紙です。そこに、烏口、丸ペン等を使用しての清書です。最近ではコンビューターによるCADも有りますので、もしかすると、このトレースという業務は、もう存在しないのかもしれませんが、この当時は、国産のコンピューターなどは未だ発売されていない時代でしたので、図面の清書は手書きしか方法は有りませんでした。ボードを斜めにセットして、身体に無理な姿勢をしなくても良い様になっていますが、当時、その様な台は有りません。普通の事務用机を並べた上に、原稿とトレーシングペーパーを置いての写し書きでした。最初に取り組んだのは大阪府の伊丹空港付近から堺市まで走らせる予定の中央環状道路の図面でした。畑、建造物、斜面の記号、寸法の数字等、手書きの物、全ての青書でした。毎日毎日、前かがみになっての作業、時々、腰を延ばしてはポンポンと腰を叩いたり、腰を後ろに曲げたり・・・、腰の受ける負担は非常に大きいと感じてはいました。しかし、1か月を経た頃に、余りにも腰が痛いので、整形外科を受診したところ、「腰椎変形腰痛症」との事でした。早速、コルセットを作って頂き、その場は切り抜けました。それからの人生は、腰痛との戦いでした。症状の治まっている時は何も影響は無いのですが、毎年、2回から3回、ギックリ腰で、その都度コルセットを着用して凌いできました。大阪、中の島の整形外科医院に何十年もお世話になっていました。いつも院内処方で、帰宅する時には薬を沢山頂きましたが、それらは真面目に指示通りに服用を続けていたのです。腰の痛みのひどい時、月に1回程度は、腰椎に麻酔薬を打って頂いて楽になっていたのです。
 平成1410月でした。いつも通りに麻酔を打って頂いて、ベッドで約1時間休息、医院を出て会社に戻ろうと歩きだして約100メートル、そこで突然、今迄感じた事の無い足、腰の痛みで歩く事が困難になりました。医院に引き返そうにも、ビルの中、エレベーターに乗る事にも抵抗が有ったので、通りすがりのタクシーを止めて、兎に角、会社まで辿り着きました。会社内でも暫く休んで、どうにか帰宅しました。その帰宅時、どの様にして帰宅したのか、いま思い出そうとしても、全然記憶が有りません。兎に角、足、腰の痛みで、自力での歩行が出来ないのです。暫くは会社を休んで、治療に専念したかったのですが、都合の悪い事に、もうすぐ税務署の立ち入り調査が有るという事が、税務署から連絡が入っていたので、総務部長として、私が休むという事は絶対に不可能でした。翌日、会社への出勤は、歩行用に1本杖を購入はしたものの、僅かな歩行がやっとでしたので、電車通勤は諦めて、マイカーで出勤しました。当時はオートマでは無くて、ミッション形式のワゴン車に乗っていましたが、運転に影響は何も有りませんでした。しかし、痛みは日毎に増して来て、最後には、松葉杖での歩行を余儀なくされました。
 無事、税務署の調査を完了した翌日、会社の近くの大きな病院を訪ねました。整形外科の診察室に入ると、松葉杖姿の私を見て、先生は 「そんなに酷くなったのを、この俺に直せと言うのか??!!!」と、大声を出されました。午後から早速MRI検査、その結果を伺いに診察室に入ると 「えーかっ! 診断結果、病名を言うぞ!・・・  大腿骨董壊死 !! 手術しか治らん!」
簡単に治療できる物と考えて、会社の近くの病院に行ったのですが、入院手術となれば、自宅の近くが必要と話すと、高槻の大阪医科大学に行くよう勧められ、翌日は、その病院に行っての診察。患者が多く手術の予定は中々取れませんでしたが、1224日と決まりました。大腿骨の先端、ボール状になっている部分が壊死の状態なので、それを切断、セラミック製の人工骨を大腿骨に接続、治療が遅れた事から、骨盤側の関節も傷んでいるとの事で、骨盤側も樹脂の関節に取り替え。5時間の予定が7時間の大手術でした。全身麻酔でしたから、私は何も知りませんが、電動ノコギリ、ハンマー等を使った、大変な手術だったろうと思います。3ヵ日からは車椅子。1ヵ月で退院、松葉杖での電車通勤。勿論、リハビリも通いました。4月からは、自転車で市民プールに通って、水中歩行の自主トレーニング。その年の12月からは、職場に復帰しました。手術直後は脱臼を心配しましたが、それも無く、歩行も普通通り、このレントゲン写真以外では、人工関節とは誰も解りません。手術から11年経過しましたが、歩行等、行動に問題は全然ありません。
 本当は、この大腿骨董壊死の原因、その事について書きたかったのですが、余りにも永くなったので、次回、原因となった薬について詳しく書きたいと思います。

2017年2月23日木曜日

電気ケトル が 断線??

毎日毎日、35℃、36℃、37℃と、信じられない様な梅雨明け後の日本。例年では、エアコンは使用しても、午後2時以降から夕方まで・・・程度でした。しかし、今年の夏は夜の気温でさえ25℃以上、夜明けの5時頃の気温でさえも26度とか。電気料金の値上げが実行されている現在、消費電力を極力制限したいにも拘らず、毎日毎日、朝のテレビでも、熱中症には充分ご注意下さい。今日も、暫くは耐えて来ましたが、しかし、午前11時に31℃を超えた時、遂に耐え切れずにエアコンのスイッチを入れた次第です。昨日の夕方位から、気温の為かどうかは解りませんが、少し頭痛が出ていたので、用心の為もスイッチオン。電気代は掛かるでしょうが、これも生き延びる為には止むを得ないかな…と。
 昼食に備えてお湯を沸かそうと、テーブルの電気ケトルにスイッチを入れました。超小型のケトルですので一度に0.8リットルしか入りません。そこで、湧いたお湯を急須に注ぎ、もう一度、電気ケトルを水で一杯にして、再度スイッチオン。暫くすると、未だスイッチを入れて1分も経たないのに、自動的にスイッチが切れたのです。エッ? 何? と、スイッチをもう一度入れ直しましたが、スイッチは入れられるのですが、電源ランプは点灯しません。アレッ? 故障かな?・・・。
テスターを出して来て、点検の開始です。ポットをセットする台座には間違い無く100Vの電気は届いていました。従って、故障は、上部、電気ケトルの本体内と断定出来ました。念の為、ケトルの底、100Vの電源を接続する部分、その両端子間の抵抗を測ったところ、テスターの表示は「1」の表示です。テスターの表示、抵抗値を計測して「1」の表示の場合には、その端子間は電気が流れていない、つまり、断線している・・・と、いう事です。
 2,000円もしない電気ケトルですが、購入したのは昨年の11月、毎日、毎日、良く働いてくれました。ここで廃棄したのでは、余りにも申し訳ないので、原因調査を開始しました。道具はプラスのドライバーとマイナスのドライバー。プラスのドライバーはビスか、木ネジを回す為、マイナスのドライバーは、本体がプラスティック製の為、いろいろの個所でパチンと、かみ合わせで止めている部分が多いと思ったからです。ヒーター本体の断線の場合には、修理は不能ですから、その場合には買い替えも考えますが、スイッチ付近の故障でしたら、修理は可能・・・と、考えての作業開始でした。まず、最初は、外から見えるビス、木ネジの取り外し。底面に3本のビス。取り外しましたが、分解できる兆候は一切無し。ケトルの蓋を開いて、その蝶番部分、どうもプラスティックの突起で止まっているだけ。マイナスドライバーを慎重に当てて、蓋の取り外し。蓋を取り外すとグリップの一番上に木ネジが2本見えました。それを外して、それからは、マイナスドライバーの出番です。グリップの外カバーがスパッと外れました。それと同時に、底部分の周囲のカバーが外れ、中の部品はすっかりその姿を現したのです。後はテスターを要所、要所に当てて、何処が悪いのか部品のチェック。ヒーターの通電はOK。本体のヒーターは切断では有りませんでした。
 スイッチの通電、ON, OFFは可能か・・・?  これもOK。残る部品は1個、絶縁カバーに包まれたコンデンサーの様な形の部品、これが全然通電無し。断線の原因はこの部品と判明しました。しかし、ヒーターと直列に、コンデンサー等が入る事は、雑音防止でも有るまいし、考えられません。部品の周囲を見ると、169℃の表示が有り、これは温度ヒューズと判明しました。そこで、温度ヒューズの価格を通販で調べたところ、2本入りで500円。早速、通販で発注しました。ここからわざわざ日本橋まで電車地下鉄で出掛けると、往復960円掛かります。部品は、本当は1本有ればよいのですが、販売元も1本の郵送では、割が合わないのでしょうから、仕方ありません。部品到着まで、3~4日は掛かるでしょう。それ迄は、バラバラにしたケトルは、そのままの状態で留めネジだけは、それそれの位置に軽く止めて、組み立てはしないで袋に入れて保存しておきます。
部品が届いた時に、断線した温度ヒューズを、新しい温度ヒューズに取替えて、半田付けすれば、修理は完了します。ヤレヤレ、これで新しいケトルを買わなくても済みました。

2016年10月17日月曜日

満開です

今朝、玄関のドアを開けると同時に、甘ーい香りが漂っていました。金木犀、もうこんな季節なのですね。日頃は、通り過ぎるだけですが、今朝は、立ち止まって、そっと香りを楽しみました。真夏の日が過ぎ去って、突然の冷え込みに驚いてもいましたが、もう、こんな季節だったのですね。
 今朝は、朝一番から、凄く嬉しさのあふれる思いでの外出でした。

2016年9月22日木曜日

急に涼しく、寒いくらいになりました

連続して日本を通り過ぎた台風。台風の後は、急に涼しくなりました。前回と同じ
デュランタ・タカラヅカ 』 枝先一杯に
開いています。もうすぐ小学校では運動会のシーズン。もうすぐ、この冷気から、再び、秋の気温に戻るそうです。