今年も春がやって来ました。ガレージ横の五月、元気に満開です。この住宅に入ってから、24年目を迎えました。この現在の住宅に入ったのは、大分の転勤から解放されて、大阪に戻ってきた時でした。思い起こせば、会社からの指示で、大分に転勤しました。4年間、という約束でした。大分で4年間、過ごす内に、子供達二人は、二人とも大阪の学校に進学、大分の自宅と、子供達はそれぞれが借家生活。3軒の住宅で、それぞれの生活は、毎年3回の帰省時の面会以外は、それぞれが独立しての生活でした。大阪に帰ってすぐは、堺市にある会社の住宅に入りました。大阪から大分に転勤した時、大阪で住宅を新築した半年後でした。思い起こせば、大分に転勤する時、住宅を新築直後に転勤を命じられたのです。当初は、私一人が大分赴任。家族が大分で一緒に過ごせる住宅を探しました。しかし、大阪と違って、大分では貸家は数が少ないのです。そこで、わたしは、休日等、新築する為の宅地を大分市内で探し回ったのです。幸いにも、住宅地の中に約50坪の更地を見付けることができました。その土地に住宅を新築しようと、現地の一級建築士の方に設計を依頼しました。ところが、その設計図面を見て、びっくりしました。1階は大きな和室が1部屋だけ、2階も2部屋しかありませんでした。これでは、親子4人の生活が成り立たない…と、その設計は破棄、私が自らの手で、設計図を書き上げたのです。設計図ではないですね、住宅の間取り図です。1階は16畳のLDK、6畳の和室、あと勿論バストイレ。2階は6畳の和室と洋間、3部屋と、トイレ。それと、私の趣味の部屋、3畳でしたが、無線機、パソコン等で一杯でした。この間取り図を、大分の一級建築士の方にお見せしたところ、これは良いわーーーと、大絶賛。
新築工事は3カ月かかりました。毎週日曜日は、現場に赴いて、進行を見守り、ビデオカメラで撮影、私からのコメント等も加えて、大阪の自宅宛に送ったものでした。
新年度になって、子供達も全員大分に集合。久しぶりに親子4人が、全員揃いました。
しかし、その翌年には息子が、4年後には娘が、それぞれ大阪に進学、再び、子供達とは別居になったのです。4年間の転勤・・・という約束が、6年経過して、やっと大阪への復帰が許されました。転勤前の大阪の新築住宅、又、大分で新築した住宅も全部売却していましたので、又も再び、大阪での宅地探しからスタートしました。転勤前も高槻市でしたが、高速道路も新幹線の利用にも都合の良い、高槻市で宅地を探しました。だけど、なかなか事は進まず、止む無く、新築ではありますが、私の設計ではない建売住宅を購入したのです。入居したのが3月でしたので、その年には五月はまだ花は付けていませんでした。それから数えて、24年。思えば長い事、ガレージ横で、毎年元気に割いてくれています。これからも、ひとつ、よろしくお願いします。