2015年12月17日木曜日

もう一度 大手術? 人エ関節 耐用年数を経過・・・

今から13年前、2012年11月でした。左の股関節が激しい痛みの為、歩けなくなってしまったのです。すぐにも病院に駆け込み、MRI検査を受けたところ、左大腿骨董壊死との診断。治療は入院手術で人工関節にするしか方法は無い、との診断でした。歩行が困難な状態でしたので、すぐにも入院手術を実行したかったのですが、しかし、それは不可能でした。
税務署の立ち入り検査が、2週間先に控えていたのです。経理の責任者として、その検査を完了させないでは、会社を抜ける事が出来なかったのです。その当時、今とは違って、マイカーはオートマチックでは無く、5段ミッションのマニュアル車に乗っていました。世間ではオートマチック車が主流になっていましたが、私は敢えて、マニュアル車を特注で購入していたのです。歩行時には耐えられない左股関節の激痛でしたが、クラッチ操作には何も問題は有りません。自宅から会社まで、約35キロ、最初の一週間はマイカーで通勤しました。渋滞の中、片道2時間近く掛かりました。当時乗っていたのは、ワンボックス車、背が高くエレベーター式の駐車場には入れません。会社から徒歩で5分くらいの青空駐車場に駐車しました。20分間300円。しかし3時間以上の場合には、一日1,000円でしたので、少しは助かりました。しかし、やはり毎日1,000円を節約する為に、電車通勤に切り替えました。満員電車で松葉杖、電車の最後部、車掌室前の壁にもたれての通勤でした。ある日、少し空いた電車が来た時でした。空席が一人分だけ空いていたのです。松葉杖を使いながら、その席に向かったのです。座ろうとした時でした。反対側から、その席を目がけて若い女性の方でした。
私よりも一瞬早く座って、私に向いて得意そうに笑っていました。松葉杖を使っている私は、正直驚きました。でも、仕方有りません。松葉杖を使って、後部の車掌室前にまで移動した記憶が有ります。
 税務署の立ち入り調査も無事終了。入院手術と聞いていましたので、自宅の近くの病院、大阪医科大に行ったのが12月1日。しかし、即日手術決定は無理でした。手術実行が決まったのは12月16日。12月24日が手術と決まったのです。股関節の部分をそっくり人工物、セラミック製の人工物に取り換える手術でした。その時聞いていた人工関節の耐用年数。8年と聞いていましたが、その後の検査では、毎回、異常なし、異常なしと、今年で満13年になります。その関節が、今頃になって、時々痛みが生じ始めたのです。歩行時等は痛みは感じ無いのですが、横になった時、軽いのですが、痛みが生じて、寝返りを打ったりして痛みを抑えているのです。
 手術直後は半年に一度の検査でしたが、最近では1年に一度の検査です。次の検査予定日は来年の7月です。痛みが酷くなれば、当然検査に行くつもりですが、再度手術となった時の事を考えて、正直気が重くなっています。手術は12月24日でした。予定時間5時間を2時間延長しての大手術でした。手術後、ぼんやりと眼を開けた時には、ナースセーター隣の部屋。すぐ家内が寄って来て、大丈夫?帰るよ・・・と、言って来たのを、覚えています。夕方5時の終了予定を2時間も過ぎていたので、私は全身麻酔なので全然知らないけど、待っている方は大変だっただろうな・・・と、思います。
 手術から数日はベッドから移動できず、トイレに車椅子で初めて行ったのは1週間後でした。1週間分を溜めいた為、苦労しました。2時間、頑張った事も忘れられません。
手術から約1カ月、初めてのリハビリも大変でした。右足は元気なのですが、左足はまるで他人の足みたいに、全く使い物にならなくて、歩行練習・・・。退院後も、近くの市民プールに通って、水中歩行を2カ月頑張りました。もう一度、この経験を繰り返すのかな…と、今、何となく不安を抱いている次第です。もうしばらく様子を見て、病院に行くかどうかを決める事にします。